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一番に愛してあげたいのは。

すみち。
自販機で買ったあたたかいミルクセーキを片手に、
今日は珍しく、自分の話でもしてみようかと思う。
わたしってみんなにとってどんな印象なんだろう。

多分、
明るい、うるさい、ポンコツ、人懐こい、笑顔、オン眉、たまごボーロ、、、。
そんな言葉が出てくる気がする。
たしかにそれも私。

でも、本当のわたしはもっと、
シャイで、陰キャで、不器用で、ひとりがすき。
そんな要素も持ってる。

中学生

陸上部だった。
自分で言うのも変な話だけど、部の中ではエースだった(と思う)。
でもやっぱり、中学生って尖ってる時期で、まわりも私もそうだった。

同級生の女子は9人。
中学1年生のわたしは、先輩たちに人懐っこさを発揮した。
でもその限度を知らなかった。
甘えすぎてしまった。
他の同級生たちは、人懐っこすぎるわたしを、認めてはくれなかった。

夏休みに入った頃、暑い夏の日差しの中、
わたしは、運動場に独りぼっちだった。
最初はみんなに馴染もうとしたけど、状況は悪化する一方。
ただのハミゴと陰口が2週間ほどでおわったのは不幸中の幸いだった。

それでも当時のわたしは、つらかった。
毎朝起きて部活に行くのが嫌だった。
無理やり笑って平気なふりをするのがしんどかった。
あの時のことは今でも鮮明に、頭に残ってる。

その頃からだろうか。
姉から言われた言葉を心に留めるようになったのは。

他人を信じたらあかん。この世で信じてええのは、自分とお金と音楽やで。

この言葉に納得した。
中学生ながらに、わたしは、ひとを信じることを諦めた。

高校生

信じることを諦めたわりには、
高校では心機一転、友達を信じてみよう、と思った。
でもやっぱりむずかしかった。
一度ハズれたわたしのパズルのピースは、どこかへ消えて、見つからなくなってしまった。

その結果、友達との衝突も多かった。
怖かった。
どうせ裏切られる。
そう思いながら、毎日を過ごすのは。
もう嫌だった。
信じたいのに、信じきれない自分が。

いま

キャラっていうのは、
定着してしまえば、精一杯その自分を演じ続ければいい。
でもその先には、ホントの自分との矛盾で溢れてる。

この前、友だちに、成人式は中学の時友だちほぼおらんかったから出たくないって言ったら、
一番行きたそうなのに意外やな。って言われた。
それを言われた瞬間、気づいた。

ホントのわたしはそんなに、みんなが思ってるほど、純粋な心を持ってるわけじゃない。
いつだって明るくて笑顔なすみちは、
周りに弱さを見せることなく、ひとり、心の中にしまい込む。

そんなわたしでも、信じてみたいって思える人が、TABIPPOには何人かいた。
ひとの信じかたを忘れてしまったわたしなりに、
いまはその人たちを信じているつもり。
でも、多分、心の奥底では、信じきれない。
信じてないわけじゃないんだよ。
これだけはどうしてもわかってほしい。

わたしはいつだって、自分が傷つかない方法を探す。
その答えが、他人を信じないことだった。

これがわたし。
どんなに頑張ってもわたしの根本に根付いてしまった、自分以外の人を信じるな、という教えは、
変えるのが難しい。
こうなるのは一瞬だったのに、戻るのは難しい。
育った環境から得たものを覆すのは難しい。

言語化は苦手。
他人を信じるのも苦手。
愛なんてものも知らない。
それでもわたしは、
自分自身を一番に愛するのは、自分でありたい。

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