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振り上げたこぶしの納め方

3人のこどもを産み育てていた90年代の記憶はほとんどない、と以前書いたけれども、実際不慣れな育児に取り組んでいて心身ともに本当に忙しく、社会の動きどころか世の中の流行などにも気を向ける余裕がなかったのよ。

2番目のこどもを授かってからはおにいちゃんと1対1で向き合うプレッシャーからは解放されたけど、勝手なもので今度は上の子と下の子の関係性や子育ての対応変化に悩まされることになったの。
だって今まではなんでも息子が一番、息子が生活の中心だったのが、そうはいかなくなったわけで、1対1の頃は小さな息子を前にただただ落ち込んだり、涙ぐんだりしていたのが、今度は争う二人を怒鳴りつけたり、乱暴に引きはがしたりし始めたわけ。
自慢じゃないけどあたしは叩かれて育ったの。
父は気に入らないとグーパンチだったし、母は昭和生まれのお嬢様だったからプライドを傷つける相手は平手打ちよ。
だけどちょうど平成になったくらいからよね、「こどもに手を上げるのは虐待」って言われるようになったの。
あたしも殴られるのは嫌だったからそれは賛成なんだけれど、そんな風にしか育てられてないからじゃあ自分はどうしたらいいのか、わからなかった。
あの頃殴られて悲しい気持ちになっていたあたしはだれも慰めてくれないのに、カッとなって子供に手を上げるあたしには「母親失格」のレッテルが貼られる。
(割に合わへんな。)
いろんな育児書を読んだり、腹が立ったら「6秒数える」「深呼吸する」「自分を隔離する」などなど諸々試したけど、なんか納得できなかった。

ちなみに2番目が1歳になったころから英会話教室とは別に翻訳の仕事をすることにしたの。
で、翻訳事務所に採用試験と面接を受けに行くことになって、また浮上したのが保育園問題。
翻訳の仕事も家で子供をみながらできるかと、とりあえず以前お世話になった「駅前保育室」に今度は兄妹二人をお願いしたのね。
無事採用され、しばらくはこども2人をみながら講師と翻訳作業をやってた。
ところがね、例の通りけんかとかして仕事に集中できないし、「暴力母ちゃん」になりそうだったから前述の保育室に通わせようかなあって思ったのね。
ある日駅前を通りかかったときに「あ、○○園やね、こないだ2人で遊びに行ったところ。楽しかった?また行く?」と保育室が入っているビルを見て言うと、おんぶしていた娘が泣き出したの。(それもその後しばらくそのビルの前を通るたびに泣いてたわ。)
あまり泣かない子だったんでちょっとびっくりして、上の子に「え?え?なにかあったの?」
って聞いたけど彼も下を向いて何も言わない。
迎えに行ったときは特に何も変わった様子はなかった、と思ってたんだけど心配になって取っておいた連絡帳を見てみたの。
2年前に息子一人で1週間利用したときは毎日びっしり保育士の先生からのお便りが書かれていて食事メニューも栄養を考えられたもののようだったけど、今回はたった1日なのに二人とも献立が書いてあるだけで「問題ありませんでした。」の一言だけ。
(なんかあったんかなあ。そういえば園長先生2年前と変わってたしなあ。)
上の子はあまりしゃべらない子で、下の子はまだ1歳、事情はよく分からないまま。
(せやけど、こんなんじゃ預けられんわ。やっぱ認可保育園に申請するか。)

そんなわけでまずはおにいちゃんから申請し、認可保育園の年少クラスに入園したの。
下の子も翻訳作業量が増えた翌年、3歳児クラスから入園したわ。
あたしこの保育園には感謝しかないのよ!
この保育園はまわりを田畑に囲まれ敷地内には日当たりの良い園庭もあり、静かでのんびりした園で、天気の良い日には積極的に長い距離を散歩に出てくれて、それまで体力を持て余していたおにいちゃんは毎日ヘトヘトになって帰ってくるようになり、兄妹間のいさかいも減ったのね。
あとから入園した娘はもともと引っ込み思案なところがあったんだけど、入園前に1年間毎日おにいちゃんのお迎えに行っていたので園児や先生方とは顔なじみになって、入園後もすんなり馴染んでいけたわけ。
なによりもあたしは仕事がはかどった以上に、精神的に救われたわ。
「公園デビュー」に失敗し「ママ友」もいなかったあたしだけど、毎日朝夕こどもを保育園に送迎するために通うことで自然と他の親御さんと知り合いになれた。
そして先生方とこどもたちについて密に連絡を取れ、時には子育ての相談にも乗ってもらい、とても安心できたの。
特におにいちゃんの最初の担任の先生にはこども同士のいさかいや仕事がはかどらないことの悩み、そして手を上げてしまうことへの罪悪感について優しく話を聞いていただき、本当にそうやって親身に聞いていただくだけでありがたく、嬉しかったのね。
そもそもうちの相方はあたしと違って穏やかな両親に育てられて「親父にもぶたれたことない」人だったので、こどもたちには逃げ場があってよかったと思う反面、なんかあたし一人が悪者で、あたし一人がバタバタやってて、なんなんだ、って思ってたから、先生に「よくがんばってらっしゃいますね。二人はお母さんのこと大好きだと思いますよ。」とおっしゃっていただけるだけで救われました。
(ちなみに件の駅前保育室はその後色々良くないうわさを聞いたんだけど、ほどなく閉園してしまったわ。)
そんなふうにあたしのひとりっこの母としての2年と二児の母としての4年が過ぎていきました。

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