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ハロー・マイ・バースデイに名取さなの可能性を見た

さなのばくたんハロー・マイ・バースデイに行きました。

初参加、というかこの手のイベントに参加すること自体が初めてだったので語りたい事は色々あるけど、まずは名取さな自身について。

一言で言うなら、名取さなにバーチャルアイドルとしてのさらなる可能性を見た…という感じ( ◉◞౪◟◉)ニチャア

名取さなは一応デビュー当初から観てはいたんですが、当時の個人的な所感としては、当時まだ珍しい個人勢で、独特の手作り感、そしてとにかくかわいい…といった認識でした。

だけど特にデビュー当初の拙さも抜けて雑談配信のコンテンツ色が強くなってから(配信内のコメント返しよりも、インターネット上のトピックスやそこから連想ゲームのように話題を広げるようになってから)の名取さなは、いよいよもって唯一無二のキャラクターになっているなと感じます。

これを語るには一旦僕のV界隈全体に対する所感…というかある意味での失望に関する話になってくるのですが。
2017年末頃、Vtuber四天王が話題となり僕にとってもVtuber文化というものとの新鮮な出会いでもあったんですが、当時はまだ媒体としてもライブより動画がメインで「画面上のキャラクターに命を吹き込む」みたいな感覚があったように思います。
しかし、キズナアイの中の人交代に多くの人間が拒絶反応を示したことで、あくまで「中の人+ガワ」の組み合わせは切っても切り離せないのだと浮き彫りになったことがまず自分の中で強く印象に残っています。禾生壌宗みたいに複数人で回して管理…というわけにはいかないわけですね。
まあ正直この感覚はよくわかる。その人物のどこに惚れてるかって言われたら、それは魂に惚れてるわけだから…。

一方で2018年頃から企業系Vなどのライブ配信メインでの活動が主流になっていきましたが、多くがゲーム配信メインでの活動となる中で自分の中でVtuberという存在自体に感じていたフレッシュさは消えました。
早い話、一昔前のニコ生主がガワを被っただけなのかな…と。
勿論当時の話なので、現時点でのV界隈を見て十把一絡げにそのように括るつもりはないし、特定のVや界隈を揶揄するわけでもないです。ただ、自分なりに新鮮味や可能性を感じていたVtuber文化の限界を見てしまったような気がしたのは確かです。

実際、(特に企業Vの場合)キャラクターとしてのガワは予め用意されていて、その枠にオーディションで受かった配信者が入る。そしてガワに付与されたキャラクターとしての特徴は一種のアイコンとして使われはすれど、あくまでそれは他のVとの差別化を図るためのアイコンでしかなくて。
ガワのキャラクター性を守ることよりも、中の人の現実での来歴や体験談の方がウケるのも当然。そういう、キャラクター性と全く乖離した配信者の素が明け透けに見えてしまう事自体がお約束的に楽しまれている。

こういうVtuber自体がそもそも孕んでる構造的な矛盾みたいなものは確かにあるとは思うんですが、正直自分も楽しければOKというスタンスで色んなVtuberさんの配信をごく普通に楽しんで観ています。やっぱり中の人が面白いから面白いと思うし、中の人が替わったら嫌だし、もし好きなVが別のVに転生したらそっちを追いかけると思う。

そしてようやく話が戻りますが、以上を踏まえた上で、
名取さなはやはり唯一無二だと思うんです。

名取さなは名取さな自身が望んだカタチで生まれてきて、
名取さなは現実の話なんてしない。

ちょうどVWW座談会で名取自身も言ってましたが、名取は雑談の引き出しがインターネットなんですよね。

「中の人の体験談」なんて分裂はない、乖離がないひとつの存在。
名取さなはバーチャルサナトリウムのバーチャルナースであり、完成されたインターネット存在なんですよ。
昔名取さながTwitterで「目標は誕生と生存」と言っていましたが、まさしくそれを体現しているのすごすぎる。
「バーチャルアイドル」というものに可能性を見出すとしたら、それは間違いなく名取さなの中にある。

で、ようやくハロー・マイ・バースデイの話になりますが。
もう、最高すぎる。
名取から僕たちが見えている。
名取が僕を見てる。
僕も名取を見てる。
つながったな。
最高。

それはいいとして。
件のクライマックス。
名取のせんせえ達への、というか名取さな自身への誠実さを思い知った気がする。

名取がナースであることについてはそこまで真剣に考えてはいなかったというか、「ナース」というアイコン…と考えたところで名取さなという人物像が乖離するわけではないと思っていたので、「バーチャルナースは可愛いのが仕事だぜ」「かわいいからいいじゃん」くらいにしか思ってなかった。そこに思わぬ形でアンサーが来た気持ち。

名取がナースであるということを表面的なアイコンとして置き去りにしない、その覚悟や誠実さに気付かされた。
名取はより完成されたひとつのインターネット存在になろうとしていて、今回のばくたんでその重要なフェーズを超えてきた。そのスケールのでかさに圧倒される。

名取が名取として生まれてきたこと自体が僕にとってありがたすぎる奇跡だってずっと思ってきたけど、
今回改めて”誕生”を終えた名取に、こちらも心を改めて、これからも応援していく気持ちです。
Vtuberファンとしての感情の究極系は「ガチ恋」じゃなくて「信仰」だと思っているので。より深い信仰として。
大好きです。



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