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ぽやっとおもっていたことあれこれ(日記)

お元気ですか、みなさま! お元気だといいな〜。

なんとなくタイピングしたいだけの気持ちで今、この日記を書いています。たまにはそんなふうに、ゆるく文章を書いてみてもいいのではないでしょうか。へへ。

ということで、以下はゆる~い書き散らしです。ゆる~く読んでいただけたらうれしいです。

では!


お花見あれこれ 

先日、仲の良い友人と三人で夜桜を見にいった。

川沿いを三十分くらい歩いて、その間何本もの桜の木が見事に咲いていたのだが、わたしたちはおしゃべりに夢中で、桜のことをあまり見ていなかった。女三人そろえばなんとやら。

川沿いを歩き終わった後、「あれっ、もう終わり!?」「早」「てか桜ほぼ見てない」「いやそれ~」「あはは。もういいじゃん、ごはんたべいこ」「さんせ~」と女子高生みたいに三人で腕を組んで夜の街を歩いた。

友達と歩いている時の無敵感が大好きだ。「ここにいれば間違いない、大丈夫だ」って気持ちになる。

私は普段、ちいちゃなちいちゃな脳みそで、けれどちいちゃいなりに精一杯、ぐるぐると色んなことを考えながら過ごしている。

考え事をするのは好き。でも、時折考えることに疲れてしまう時もある。

友達と歩いていると、普段自分の胸に渦巻いているぐるぐるした考えなんてぜんぶ、ど~でもいいやって気持ちになる。

だって、どれだけ自分がちっぽけな存在だったとしても、今この瞬間、私の腕を愛情を持ってぎゅっと組んでくれた友達がいたという事実は覆らないから。

そして私は、きっと人からしたら「おおなんと些細な!」と呆れられてしまうようなことを噛み締めるのが、たぶんひとよりちょっとだけ、上手いと思う。へへ。自画自賛ですみません。

これからも、上手くありたい。



かわいいひと

だれかに大切にされてるな~ってしみじみ感じる瞬間が好きだ。

この間、友達と遊んで別れる際、「春の夜大好きだから今日はバスに乗らないで歩いて帰る」って言ったら、「絶対やめて。あんたかわいいんだから気をつけなさい」って言われて、「え~っ!私、かわいい~!?」って言ったら、「調子乗んな!」って髪をぐしゃっとされて、なんかすごく嬉しかった。

あの時の彼女が言った「かわいい」が、容姿の美醜についての言及じゃなくて、なんていうのかなあ、生き物として、人間として、愛しくおもってくれているから出た言葉だっていうのが、その喋り口調からしみじみ、しみじみわかって。すごくうれしかった。

女の子たちと遊び終わった夜、「家着いた?」って確認しあうあのかんじも、好きだ。愛だなと思う。まあほんとうは、身の安全を確認しなければいけないような物騒な世の中なのはよくないなと思うけど。

わたしも彼女たちのことを心底かわいいと思う。美しいと思う。見た目云々ではなく、その人の持つ人間性に対してかわいいという感情は、その人の内面に深く触れてゆかないと、湧き上がってこないんじゃないだろうか。

ちがうかな。どうかな。どうだろう?

とにかく私は、かわいいひとが大好き。

でも、かわいいって言われるのをいやがる人も世の中にはたぶんいるから、そこは気を付けつつ、でもでも、これからも人間を愛でていきたいな。


主人公とはなんぞや 

最近よく考える。

ここが物語の世界だったら、わたしって主人公かな。……いやいや、ちょっとそれは荷が重いというか、やんごとないというか(あれ?やんごとないつて、使い方へんかも)

『スキップとローファー』という大好きな漫画に登場する、ミカちゃんという女子高生の独白でひとつ、大好きなものがある。

「とびきりの美人でもなければ 純粋で真っすぐにもなれない私を 一体誰が選ぶ?」

わかる~~~……。

学生のとき、私も同じようなことを考えていた。というのも、私の友だちは友人のひいき目を抜きにしても、とにかく可愛い子が多かった。それに、どうしてそんなに眩しくいられるの、というくらい、性格が明るくて、まさしく主人公みたいな、太陽みたいな子も多かった。

たいして私はほんと 名もなき女子学生Aというかんじで、地味で目立たない学生時代を過ごした。そんな時、私はミカちゃんと同じようなことを考えていた。

だってこの世にはこんなにたくさんかわいい女の子がいて、すてきな男の子がいて、そんななかで、私のような人間を選ぶ人ってそれ、だれ? なぜ?

でもこの前、『十四歳の栞』という、中学二年生の一クラスを二か月追ったドキュメンタリー映画を見に行って、その考えはなんとなく晴れた気がした。

人間ってみんな主人公なんだなって、うそいつわりなく、ほんと、心から、そう思った。

部活を引退するまで待っててって好きな子に言いに行くAくんも。お調子者でしかたないやつって言われつつ、「だって暗い顔でいるより明るくいる方が楽しいから」とさっぱり言い切れちゃうBくんも。テストの成績があまりよくなかったのを、「あのねあのね」ってお母さんに笑いながら話せちゃうCちゃんも。誰のことも一度だって信用したことがないと言い切るわりに、友達と一緒にいる横顔は楽しそうなDちゃんも。大好きな新体操の引退の時期をひしひしかんじはじめてるEちゃんも。教室にどうしても入れなくなったFくんも。いつか宇宙へ行きたいGくんも。

みんな、すごく、主人公だった~。

何気ない日常だって、些細な考えだって、ひとたびカメラが回ればだれもかれもが主人公だった。

主人公って、「やさしくて」「かっこよくて」「人気者で」ってテンプレートに当てはまらなくちゃいけないのかなって思ってけど、でもそんなことないに決まってる。

それどころか、多少傷を抱えて、多少正確に難が(難が?)あった方が、こんな言い方悪いかもですが、物語としては面白いもんね。(ほんとに、言い方、悪いかも!)

そして多少の傷や性格の難というものは、きっと誰しも抱えているのではないだろうか。

たぶんだけどわたしたちは、自分自身と今日この瞬間まで長く付き合ってきすぎて、自分という物語に食傷気味なんだと思う。

でも、それが他人の目にうつるとこんなにも鮮やかでいじらしくて恥ずかしくて尊く映るなんて、それは当たり前のことなのかもしれないけれど、でもなんだか、胸がじーんとなる、うれしい、気づきだった。

あなたも私もきっと、カメラが回れば、あるいは回っていなくたって!


……はい。

すみません、寝る前にだーっと書き連ねてはみたものの、読み返したらきっとわけがわからないのだろうなあ。でもまあ、たまにはいっかあ。

それではまたいつか!


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