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21時のサンセットタイム

今この瞬間はかけがえのないものだとわかることがある。
ただ、単純で平凡な私はきっと全ては覚えていられないので、ここに記録する。

サンセットライブの翌日。
私はパラリンピックマラソン女子道下選手を応援するパブリックビューイングにいた。
結果は4位。後に繰り上がり銅メダルとなる。

最後にはビールが配られた。
もっと知りたい人がいて、(受け取らないこともできた)飲まないビールを2本も受け取ってその人のお店に向かう。
お客さんにも1本渡したビール。溢れたそれがコンクリートの床に染みる。齢二十歳の彼のヒヤリ。今日の思い出が始まったかもしれない。
サンセットライブが今年で終わってしまう話を残念そうにしている、私と違う横顔。当たり前に違う顔に、思い入れの差も映る。
腰から下げていたバンダナを落としたことに気づき、探すために駆け出した背中を見ながら思う、物への気持ち。「物への執着が理解できない」と昔付き合っていた人から一蹴されたとき、私が繕っていたのはボロボロのバンダナだったことを、その日は最後まで言わなかった。

サンセットライブとコラボレーションしているワインを飲みながら、普段ひとりでしか頼めないネバネバ系の食べ物をふたりで食べながら、サンセットライブの話、仕事の話、過去の話をした。嬉しかった、少し知れた。21時のサンセットタイム。
さっきから連絡を無視していた自分に気付く。私は今が大事だ。バッグに突っ込む。
次の店。気になっていた店主の自主制作の冊子。販売場所が悪戯な表現だったと今知った私を笑う顔が嬉しかった。単純さで得をした。
手元にきた冊子をめくる。覗き込んでいる顔がある。私は人との距離感に敏感な方で、相手もきっとそうだろう。だから緊張する。距離を誤らないであろう自分たちが少し近づくだけで緊張する。

帰りながらも私はずっとバンダナを想っていた。
彼は、拾った人がかっこよく使ってくれれば、と言う。本当に諦めていただろうか。私はこの良い夜に何も失って欲しくなかったから、必死だった。彼のお店に着くまで絶対に泣き言を言わないと決めて、歩いた。
見つかったときは嬉しかった。本当は抱きつきたいくらい嬉しいけれど(それくらいしていいかもしれなかった)、そんなときにも距離を誤らない私は滑稽だろうか。それで損をするだろうか。

バンダナが見つかったお礼にと送ってくれた帰り道。私は自分のバンダナの話はせずに、それより重い話をかました。なんでそれなんだ自分、とは思う。ただ、バンダナの話の最後には自分の感情がこもり過ぎると思った。
その後に話してくれた話は、とても嬉しかった。
お母さんを思い出した話。盗難されたバイクを見つけた強いお母さんの話。家族の話が一番好きだと思う、その人の感情のルーツがわかる。私と違う横顔に、似ているかもしれない。想像する。

来年もそのまた来年も同じようなサンセットライブはない。だけど、もしこんな日を覚えていてくれたなら、何年後でもいいから、また夕陽を眺めるような祭りへ一緒に行きたい。みんなで、でもいいから。神様。
そのときまでに自分が気持ちを伝えたら、一緒には行けなくなって、このふたりの間の間隔ももっと空いてしまうかもしれないけど、気持ちが過ぎ去ってしまってからでもいいから、いつか伝えよう。
伝えた方が良いと思う。この日、私は生きていて良かった、と明確に感じた。本当に久しぶりに生きていたんだから。

私にとっての、この宝物の夜が、あなたの宝物にもなっていてほしいと願う。
サンセットライブが終わり、会場では一緒にいなかった私たちが、歌われた曲を一緒に聴いていた夜。
数時間の旅をしたバンダナと、母を見た夜。
好きだとわかった夜。

30代になって訪れた、この青春じみた夜を、きっと私は一生忘れない。

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