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百菓日記⑤

百菓日記

 ママの日記帳を見つけた。
 チョコレートの箱を開けたら『真希日記』と表紙に書いてあるノートが十三冊入っていた。カラフルな秘密の匂いがした。
 『真希』の名がママのことだと気づくのに数秒かかった。

 今日は大晦日で朝っぱらから大そうじをしていた。ママは「常連客のみなさんはいつも通りに来るはず」と言って、『喫茶店おはぎ』を開いていた。
 おばあちゃんが始めた『喫茶店おはぎ』の二代目の主人がママで、ママは『喫茶店おはぎ』をこよなく愛していた。パパは私が生まれたときからいなかった。この世のどこかに存在しているのかもしれないけど、知らない。
 小学校を卒業する日、ママが一冊の本を私にくれた。
「パパがママにプレゼントしてくれた本なのよ。百菓にあげる」
そう言って。
 それは『夜の樹』。カポーティの短編集だった。小学校を卒業したばかりの私には、少しビターすぎて、あれから半年経つけれど、まだ半分しか読んでいない。
 パパと私をつなぐのは、このカポーティの短編集だけだった。

 適当な大そうじを始めて、屋根裏部屋をがさごそやっていたら、『かちかち山』や『うらしまたろう』や『白雪姫』の絵本たちに隠れるようにして、チョコレートの箱が置いてあった。
 まさかチョコレートが入ったままとは思わなかったけど、何とは無しに開けてみた。そうしたら、十三冊の『真希日記』が現れたのだ。

 頭の隅っこの隅っこで、読んだりしちゃいけないよ。って、大人な私が忠告した。でも、いけないことをしたい私が、考えるより早く、日記帳をめくっていた。

 日記の始まりは小学校三年生の頃のようだった。毎日ではなくて、三日おきだったり、八日おきだったり。気まぐれな日記だった。ママっぽいな。そう思った。
 不思議で、奇妙で、ドキドキする読み物だった。猫の人形が消えて落ち込むママ。生理がきた日のママ。ママになる前のママがそこにいた。

 大そうじそっちのけで読みふけり、ママが中学生になった。
 私と同じ年のママだ。
 私の指がページをめくっていく。何か予感めいたものが、読むのをやめなさい。と言っていた。なのに私は、読むのをやめなかった。
 そして、そのページはきた。
『木村先輩』という人がママにカポーティの短編集を渡した、そのページが。

 『木村先輩』がパパなの?
 私は無意識に日記帳を閉じていた。私の心臓ら辺が戸惑うように震える。何を、何を想えばいいのだろう。こんなときは。
 あん、だから、やはり、人の日記帳なんて、開くもんじゃない。
 私はチョコレートの箱にママの日記帳をそっと入れると、そろりそろりと元の場所に置いた。コーヒーフロートのような甘くほろ苦い想いが、のどでクーと言った。
 私は深呼吸をひとつすると、屋根裏部屋をこっそり出た。

 いつか、わりと近い日か、うんと遠い日か、ママに真っすぐ訊ける日がくるかもしれない。
 とりあえず年が明けたら、お年玉を持ってお正月の町へ私の日記帳を探しに行こう。気に入った日記帳が見つかるまで探そう。ぶ厚くて小豆色をした立派な日記帳がいい。
 明日は元旦で、今年もきっとママが赤飯を炊いてくれる。ママの赤飯はサイコーなのだ。サイコーな赤飯をもっともっと美味しく味わうために、私は大そうじを再開した。

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