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優しい嘘

大人になればなるほど嘘が上手になる、なんてことを聞いたことがある。
私は逆だ。大人になればなるほど、嘘をつくことが苦手になった。怖くなった。
子供の頃は躊躇いなく、自分を守るために平気で嘘をついた。叱られたくなくて嘘をつき、嘘がバレないように嘘をついた。嘘がいけないことだと親に教えられても、親に向かって嘘をついた。その場を凌ぐために、それが正義であるというように。 

だが嘘はバレる。嘘だからだ。当たり前だけど。
真実では無い。だからいつかバレる。私は何度も何度も何度も何度も嘘をつき、何度も何度も何度も何度も嘘がバレて取り返しがつかないようなことになってきた。いや、多分、具体的に取り返しがつかなくなったことを思い出せないあたり、どうにかはなったのだろうけど、痛い目を見てきたのは確かだ。そしてそれは大抵、自分を守るためについた嘘は、自分の大切な人を傷つける結果になってきた。

多分、私はそれで学んでしまったのだろう。嘘をついたってなんにも解決しないと。
聞こえはいいかもしれない。けどそんないいものじゃない。

大人になった私はとにかく嘘をつけなくなった。何かを尋ねられた時、知らないふりをすればいいのに、馬鹿正直に答えてしまう。好きか嫌いかを尋ねられた時、嫌いだとはっきり言ってしまう。

正しいということは、必ずしも正しくない。

世の中には優しい嘘というのが必要な場面がある。穏やかに、平穏に、争いを起こさないようにする為には、そういう、優しい嘘が必要な時がある。
私はそれさえ、上手く出来なくなってしまった。なんでも正直に言えばいいってもんじゃないと言うことはよく分かっているのに、尋ねられたら、聞かれたら、嘘を考えるよりも真実を口にしてしまった方が早くて楽だから。私は楽な道を選んでしまって。結局、何かを傷つける。嘘をついてもつかなくても、結局、何かを傷つける。
優しい嘘がつけない自分が傷つけるのは、大抵自分だ。嘘はやっぱり、自分を守るためのものだから。自分が傷ついている。

なんと不器用な生き方か。

難しいな。つらいな。
今こんな日記を書いているということはそう、私は嘘をつかなかったことで自分だけが馬鹿を見た気がする、と。傷付いている。
周りは私に優しい嘘をついてくれていたんだろう。私が傷つかないように。でもね、それで私は傷ついた。
ねえ、何が正しいんだろうね。私だけ、バカみたいじゃない?何も知らずに。呑気に。ねえ。あれは本当だったの?嘘だったの?こうしてなにもかも疑う時間が、しんどいよ。

なんだか今日は上手く言葉がまとまらない。
きっと読み返した時に自分でもよく分からない日記になってるんだろうな。
まあ、いいか。吐き出すために、書いてるんだから。綺麗に分かりやすくなくてもいいか。

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