ずるい大人になった
最近、新しい友人が出来た。
友人の定義って難しいけれど、最近まで彼女の存在は私にとって知り合い以上友人未満だったのだけど、今は誰かに関係性を聞かれたら「友達」と答えられる。
彼女とはSNSで知り合った。私は趣味で二次創作をしていて、それをSNSに載せている。そこに彼女が感想をくれて、フォローしてくれたのがきっかけだ。
彼女も同じ創作趣味を持っていて、好みが同じだったことで次第に互いの作品にコメントをし合うようになった。そうして時には作品とは関係ない何気ない日常の話なんかをするようになって、最近ではボイスチャットをしながら一緒にゲームをしたりするまでになった。今度実際に会う約束もしている。
実際に声を聞いたからか、リアルタイムで一緒にゲームを何時間も遊んだからか。多分どちらもだ。どちらもあって、私にとって彼女は「友達」になった。それだけ共にした時間が長くなったからだろう。
それをふと意識した瞬間、彼女のなんでもない日常の悩みを吐露する投稿に対して「それは失敗するだろうからやめた方がいいと思う」という経験からのアドバイスをしたい気持ちと、余計な事を言わないでおこうという、上手く言えないけど、彼女に嫌われるかもしれないという怯えが出てきた。結局、コメントは残さずにそっと閉じて今このnoteを書いている。それが良かったのか悪かったのかは分からない。けど、多分良かったと思う。彼女のしたいことを止めたって、私に得られるものは何も無い。反面、止めなかったことで彼女の悩みの中に私が入り込むことは無い。私に対する何かが揺らぐことは無い。
ずるい、のだろうか。
でも私は今まで、大抵「余計な事」を言って失敗してきた。仕事も、恋も、口は災いの元と言うけれど、ほんとに、余計なことばかり言って。失ってきた。
少し前、職場で後輩が上司に対する相談をしてきたことがある。上司に対して気に食わないことがあるので言った方がいいか、という相談だった。私は「やめときな」と答えた。その上司に対して改善を求めるより、別の何かで変えた方が早いというか穏便に済むというのが私の経験上の答えだった。幸いにも私が代わりに動けばどうにかなる問題だったのでその仕事は私がサポートする形を取り、後輩には問題の上司に直接何かを言うことは勧めなかった。どうしても気になるなら更に上の上司に相談して、その人から言ってもらった方がいいよってアドバイスをしてその場を終えた。
正解かは分からない。でも、不正解でもないと思う。ずるいとしても、真っ直ぐ向き合っていると言えないとしても。
私はやらなかった後悔より、やってからの後悔の方がいいだなんて、そんな主人公みたいな真っ直ぐな生き方は出来ない。やってしまってから後悔するくらいなら、やらなかった方がいい。
昔は違った。でもそれで痛い目にあってきたから。歳をとったってことなのかな。行動して新しく何かを得るより、今あるものを失うことの方が、ずっとずっと怖いのだ。
ずるい大人だ、私は。