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ドビュッシー:ベルガマスク組曲〜月の光〜、を聴いたオタクくんより

2023/3/27


例年よりも雨が多いかと思ったが、そういえば桜の咲く季節は案外雨が多く
見に行こうと思ったらあっという間に散って
お花見の時期など等に過ぎている事が多い

むしろ、思っていたより長かったと思う

『私の車に乗って行くか?』(尚現実では無免許)
という程度の気持ちだったのにも関わらず
血迷う程の人間(※2/24更新noteより引用)同士だったのでは?と思う

とは言いつつも流石に20代も後半。
昔ほど労力を使う事がなかった気もする
老いと言うのもは恐ろしい。
全ての優先順位が下がったまま、上がることなどない。

しかし人と人が1番成長し合える関係性は何なのだろうか。
苦楽を共にした高校の部活仲間?新入社員の同期?
独り立ちするまで育てた両親や家族?

私は今のところ、その血迷う程の人間と日々を共にした時が一番人間らしくいられたし
結果的に成長していたのではないか?と思う。


逆説的なことを言うとすれば、その血迷う人間と日々を共にすることを辞めるというのは
私の人間らしさが一部失われるということになる。


しかし当方はキャパシティが人より微少でありながら実に凡庸な人間なので、
得たい物の為にはその分の空間を作らねばならない
などと言う普遍的な事を思ってしまうのである。

そう、血迷う人間に出逢い時間を共にしたとしても
それを越える程の得たい物があったことに気がつくと最優先事項は一気に自分になってしまう。


最終的にいつも『保身』に走っていたのは私の方であった。

これは結果的に成長とは言えぬ事に自覚がある。




人生で一度もうまく行った事がない、同時に。

これを話すといつも、どんな知人も
そう思ってるだけでやってみたらどっちもうまくいくよ!
と軽々しく言われるが
先方は胸に手を当ててからこの言葉を私に申して頂きたいものであります。



いつか自分より誰かのことを大事だと思える日は来るんだろうか
それは一体どんな時なのだろうか


惜しみもなく自分を渡し、
何も得られなくても
何かを得られたと思える程
豊かな人間に自分はいつかなれるだろうか。


明日は久しぶりに大事なオーディションです。
一人でも強く逞しく、いやそう生きて行くしかない。

狡はせず遠回りでも一個ずつ積み上げる。
そういう方が自分には向いていると思うのです。


今は自分の為にだけどいつか誰かのためになればいいと思う。
納得するまで向き合いきる。

楽しんでいきましょう。

(↑イメージはモー娘。のコンサート前円陣)



俺と、俺の養分になった俺より



psなぜ人は桜の写真をやたら撮るのか


答えは見せたい人がいるからです。


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