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#2『ママタルトのラジオまーちゃん』

2024年1月をもってstand.fmで放送されていたラジオ『芸人Boom!Boom!ママタルトのラジオまーちゃん』(以後ラジまー)が終了することになった。
2020年5月26日の第1回放送から3年8ヶ月の間の全192回の放送を、僕は全て更新されたタイミングで聴いてきた。

たまらなく大好きなラジオだった。
番組冒頭で、檜原さんがする番組説明の言葉

進学、就職や転職、結婚や家探しに習い事など、ラジまーを使って情報を得るという「日常生活に普通にある存在」をめざすこと。それが当番組の掲げるビジョンです。

https://stand.fm/channels/5e452884122b2506b1fa0439

この言葉にあるように、この3年8ヶ月の間、ラジまーは僕の「日常生活に普通にある存在」だった。
この3年8ヶ月の間、僕の人生には色々なことがあった。引っ越しを2回した。かけがえのない出会いもあったし、大切な人との別れもあった。フリーターから正社員になれた。
色々な事が変わった中で、火曜の夜はラジまー必ずがあった。
それだけに、この番組が終わるという事は、毎週家に遊びに来てくれていた友達を一人失うような寂しさを感じる。
残念ながらアーカイブも全て消えてしまうということで、これまで自分の人生の側にいてくれたラジまーが大好きだったという記録をここに残したいと思った。

スタッフの横澤さんが、めちゃくちゃ丁寧に残してくれたラジまーの歴史
ありがとうございます。

2020年5月
第1回放送の「まーちゃん、ごめんね」が公開されている。
当時は、ゴリゴリのコロナ禍。初の緊急事態宣言発令時。

東京でフリーターだった僕は、仕事先から出勤停止命令が出ていて、仕事もせず親から仕送りをもらってニート生活をしていた。
そういう罪悪感と友達にも一切会えずに一人暮らしをしているストレスに発狂しそうだった。
そんな中で、ラジまーが始まってくれた。

僕は元々深夜ラジオが好きだった。それは、ベタに深夜ラジオのパーソナリティをする芸人達が、僕の鬱屈とした非モテみたいなものに寄り添ってくれるものだったからなのだが、このコロナ禍の時の不安は、そういう深夜ラジオでは解消されるものではなかった。
収入もなく、人とも会わず、ただ家でジッとすることしか出来なかった当時の僕は、死ぬほど将来が不安になっいてもたってもいられなかった。
そんな時に聴く、ある程度売れていて、仕事は休みになったものの金銭的に余裕のある地上波ラジオのパーソナリティの声は、どこか僕の不安を煽るものに感じてしまっていた。

失礼な言い方かもしれないが、この時のママタルトはあんまり売れてなかった。(肥満さんは金券ショップで、檜原さんはピザの配達のバイトをしていた)
当然コロナの影響で、芸人としての仕事はキャンセルになっている。
きっと不安だろうに、そんな中でも明るく仲良く話す二人の姿に心から癒された。
中でも檜原さんが「ソルティバタークッキー」を紹介した回は、印象に残っている。

檜原さんは、ソルティクッキーの美味しさを、
「今、ここに名前の分からない10種類のクッキーがあったとして、10種類全て食べた人にどれが一番美味しいか聞いた時に全員がこのクッキーと答えるクッキーがソルティクッキーだ」
といったニュアンスの紹介をしていて、なんて面白い褒め方をする人なんだ!と驚いた事を強く覚えている。
当時、友達も職もなかった僕のような人にとっては、外出自粛要請が出ているコロナ禍の時期は食料品の買い出しぐらいしか楽しみがなかった。
作る料理もだんだんマンネリ化してきた頃に、檜原さんのソルティクッキーの話を聞いて食べてみたくなり、スーパーに駆け込んだ。が、最寄りのスーパーには販売していなかった。
時間だけはあったので、少し離れたスーパーまで歩いてみたりした。
たかだかクッキーを買うためだけに、スーパーをハシゴしている自分が、なんだか可笑しく、そしてとても楽しかった。
結局そのスーパーにもソルティクッキーはなく、何日かいろんなスーパーで探していた所、自宅から結構遠い「オーケー初台店」というスーパーで見つけた。僕はウキウキしてクッキーを買い、店を出てソルティクッキーを頬張った。美味しすぎて一人で笑った。
コロナ禍でみんながマスクをしているのに、外でマスクを外して一人でクッキーを食べて笑っている自分にも笑えた。
ラジまーは、そういう楽しみを僕に与えてくれた番組だった。

そして後日、檜原さんが当時シェアハウスしていたカサグランデは、そのソルティクッキーが売っていた「オーケー初台店」の真裏にあることを知り、何か勝手に運命的なものを感じた。
また、別の日には最寄りのスーパーで肥満さんをたまたま見つけ、「本当にいた!」と一人でめちゃくちゃテンションが上がった。肥満さんのあまりの身体の大きさに声をかける勇気がなかった。でも、自分が住んでいる世界に、自分のすぐ側にママタルトのお二人がいると思うと、日々が楽しく思えた。
僕の東京での日々は、辛い事が多く、結局は今、田舎に帰ってきてしまったのだけれど、ラジまーと生きたあの日々は、とても楽しい瞬間に溢れていた。

ラジまーが終わって1ヶ月が経つ。
終わった直後は、ママタルトがGERAでやっているもう一つのネットラジオ「ママタルトのラジオ母ちゃん」(以後ラジ母)があるから大丈夫だろうと思っていたのだが、毎週火曜日にstand.fmを開かない日々はやっぱり寂しい。
どちらの番組も最高という前提を置きながら、なんというか、ラジまーは、ラジ母に比べてリアルタイム性と生活者としてのママタルトを感じる事が出来る番組だった。ママタルトが今日何をしているか、どんなことを思いながら生活をしているかをより知ることが出来た番組だった。
だから、とても寂しい。寂しいけど仕方がないことである。
どうやらパンサー向井さんは、ラジオ番組を4本やっているらしい。
業界関係者の方々には、ママタルトのラジオも超面白いからママタルトにも向井さんぐらいラジオの仕事のオファーしてください!と思う。
どうかよろしくお願いします。

最後に、本当におこがましいのは承知で、もしこの文章をママタルトのお二人やスタッフの横澤さん、堺さんが目にしてくれていて、ここまで読み進めていてくれていたら、心からの感謝の気持ちを送ります。
本当に、この番組に支えられていました。
まーごめ!


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