沈黙とバトルの間はないのだろうか

【本日のお題】
自分の意見で生きていこう 著:ちきりん
「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ

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先日、外注ライターとしてモヤモヤしている話を、ライブで皆さんに垂れ流してしまいました。愚痴にならないように気を付けたつもりですが、決してポジティブで明るい配信ではなかったので、「なんやこれ~」と感じた方もおられたかと思います。スミマセン。

ただ、共感してくださるリスナーさんもいてくださったし、何よりも、直接仕事と関係のない第三者の方に説明するために、私が客観的になれたこと、思いを吐き出したことで心の中がスッキリして、頭の中の切り替えもスムーズにできたので、非常に助かりました。
(結果、クライアントさんには、「すごい」と褒めていただけるコピーが完成したので、本当によかったです。皆さんありがとうございました)

で、皆さんは、SNS上でアウトプットするときに、どこまで自分の「意見」や「考え」を表明しますか?
ちきりんさんの本を読むまで、私はSNSユーザーのすそ野が拡がったことで、たくさんの人の「意見」が見えるようになり、考えの違う人が出会うようになったとと思い込んでいました。

でも、「意見」と「反応」とは違うんですね。

反応のほうが簡単だから、いわゆる「バズる」という現象につながりやすい。けれど、それは活発に意見が交わされているのとは違うわけです。
しばしば、バトルの末に「論破した」と勝ち誇っている発信者を見かけますが、本当に「論破」なのか・・・。ただ、言い負かしただけではないか。

リアルの世界では、

会社であれ家庭であれ「異なる意見を言うくらいなら、言わないほうが、摩擦が起こらなくてよい」と考えているのかもしれません。

P180

これは、まったくの勘違いであると、ちきりんさんは言います。
私も同意です。

こちらが何かを提案したとき
「きみに任せるよ」とか「好きなようにしといて」とか言う上司がいたら、
あ~何も考えてない人だなと思っちゃう。

逆に相手が提案したことに対して、疑問がわいたり変だと感じたら、口に出して言うほうなんですが、それが好戦的だと受け止められることもあって、困ってしまいます。

全てに完全同意の人なんて、いるわけないのに。
そして、SNSの世界では、沈黙ではなく反応の投げ合いが簡単に勃発するというのに。

そのどちらでもなく、「意見」を交わすことがないのは、悲しいですね。

ちきりんさんは、その原因についていろいろ書いてくださっています。
学校教育でそういう機会がないので慣れていないこと
日本において女性は「奥ゆかしさ」を求められてきた歴史があること
ネガティブな「反応」をしているだけで知的に見えちゃうこと etc.

そして、発信を続けてきた経験を踏まえて、SNSが意見を交わす(議論する)には適していない、一方で、正解のない答えに対して意見を言える人が貴重になってくる と書いていました。

私は、お互いの背景などもある程度踏まえたうえで意見を交わす相手がほしいと思っていますし、Twitterなどに比べてバズらない音声配信のほうが、その場として向いていると考えています。
もちろん、ワチャワチャと楽しく雑談するのも嫌いじゃありません。
が、そっちはチャットや他のSNSでも出来るので、
リアルに膝を突き合わせて話すようなコミュニケーションは
文字数の多いブログか、言葉のトーンまで伝わる音声配信でやっていきたいなぁと思うのです。

同じように感じている方がいたら、ぜひつながってください😊

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