マサオ

札幌出身・在住。東京の大学を出たあとそのまま東京に居着くも、仕事を辞めて再び札幌へ。 …

マサオ

札幌出身・在住。東京の大学を出たあとそのまま東京に居着くも、仕事を辞めて再び札幌へ。 空き家となっていた実家でひとりで暮らすことに。 現在、絶賛無職。

最近の記事

中年男、AI社会に取り残される

先日、口座開設のために銀行へ行ってきた。 新しく口座を開設するのは、前の会社に入社するときに作った給与口座以来だから、10年振りくらいだ。あのときはすぐに開設しなければいけなくて、どうしようかと慌てた記憶がある。銀行の営業時間が過ぎていたが、ATMコーナーのにテレビ開設窓口があり、なんとか開設できたのだ。 今回開設したかったのは都市銀行の口座で、札幌には支店がひとつしかない。 窓口へ赴くと、ずいぶんと混んでいた。 呼び出し番号の発券機のそばにいた案内の人に訊ねる。 「あの、

    • 文章を論理と感情どっちで動かす?

      なんとなく文章を書きたい、そう思ってnoteを始めてみた。 自分が書きたいから書くのであって、それが面白いとか、役に立つとか、誰かの心を揺さぶるとか、そんなことはどうでもいいぜ、という思いで始めた。 はずだった。 人間、欲が出るものだ。 noteに投稿されている他の人の文章を読むにつけ、その上手さに圧倒され、あまり認めたくはないが、ちょっと嫉妬してしまう。 くそっ、うまいじゃないか、図らずもじっくり読んでしまったじゃないか。なぜこんなにも引き込まれてしまうのか!おい! あ

      • noteという街に住んでみた

        冒頭からこのように書くのはどうかと思うが、うまく話をまとめられる気がしない。 だけれども、とりあえず書いておきたい。書きながら整理できればいいや、くらいの気持ちで。 それは、このnoteという空間について。 なんとなく、ネットでnoteの存在を知り、僕もちょうど文章を書いてみたいと思っていたことから、とても安易な気持ちで登録をした。それこそ、日記を書きたいと思い立ち、文房具屋でたまたま手に取った、ちょっとおしゃれなノートを1冊買うくらいの気持ちで。 さて、ノートを買ってき

        • 汝、鶏胸肉を愛せよ

          鶏胸肉を食べるだろうか。 えーあのパサパサしているやつでしょう、パサパサで、なんかほら、パサパサしてるやつ。 そう、鶏胸肉は、そのパサパサさゆえに、多くの人から忌み嫌われているのだ。 筋肉系動画に出てくる筋肉モリモリの西洋人が、 「リアルフード!デカくなりたきゃデカく食え!」 などと叫びながら、フライパンにオイルをスプレーし、ひたすら鶏胸肉を焼いてタッパーに詰め、あまり美味しくなさそうに口に詰め込んでいるのである。 僕も敬遠していた。 だってパサパサだし。 鶏もも肉いっち

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          YouTube大学で履修登録

          今更な話をしたいと思う。 中田敦彦のYouTube大学を観始めた。 食卓の上にタブレットを設置し、食事のたびに見ている。 きっかけは、経済について学びたいと改めて思ったことだった。 正直、経済って難しい、という苦手意識しかない。 それでも、大人だしー、あーなんか、やっぱり、勉強しておかなきゃだよねーと、学生の頃からそう思っては勉強するものの、途中で投げ出し、それでもまた本を買って読んでみるも、なんたら指数だの曲線がシフトするだの、なんか数学っぽい話しているし、あーも

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          なぜnoteを選んだの。

          文章を書きたくなった。では、どこに書くのか。 いまや時代はSNS、動画。本を読む人が少なくなっているなどと言われて久しい。 僕自身も、ネットでは長文を読むよりも、動画を流しておくほうを選んでしまう。ツイッターのまとめサイトで拾い読みしてしまう。ネット上で、無名の個人が、少し分量のある文章を書き、それを読むなどという文化が残っているのだろうか。 残っているらしい。 ブログもまだまだコンテンツとして残っていて、しかもお金がもらえる(ために努力する余地がある)らしい、と。 だが待

          なぜnoteを選んだの。

          駄文を書くのは、気持ちがいい

          久しぶりに、またどうでもいい文章を書きたくなった。 どうしてまた再び、ものを書こうという気になったのか。 20年くらい前、初めてネット上で日記を書いた。 あれは「さるさる日記」というサービスだった。 ネットがまだそれほど一般的ではなく、無論スマホなんてものはなく、ともすれば、ネットをしている=パソコンオタクと揶揄されるような、そんな時代だ。 別に誰かに見せたいわけではなく、かといって誰にも見られたくないわけでもなく、そんなような、「見せたいわけじゃないけどでも見て」

          駄文を書くのは、気持ちがいい