文章とは人を写し出す鏡である

みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

長く冷たい冬を抜けたこの地でも緊急事態宣言が発令されて、春の陽気とは裏腹に再び暗い日々を過ごすことになりそうです。
いつになったらこのコロナ禍は収束するのか? いい加減イヤになってきます。
さて今日は用事を頑張ったので、休憩がてら文章を書こうと思います。

久しぶりに自分が通っている大学の同窓会誌に目を通していました。さすがは文学部の関係者とあって、皆文章が巧みで、内容も豊か。言葉遣いから知性を感じさせます。なんだか、その人の文章を読んでいるだけで書き手の方に惚れてしまいそうです。どうして、こうも人を魅了する文章が書けるのだろう?疑問に思った私は拙い頭で考えてみました。

それは文章に真摯に向き合うことを通して、自分自身と向き合い、言葉や感覚を研ぎ澄ませる経験をたくさん積んできたからではないだろうかと。だから、他のエッセイストや文筆家とは一線を画すような、面白いだけではない知性の溢れる文章を生み出せるのではないかと勝手に推測しています。

そして、書くという行為は読むという行為以上に、人間性が露わになると思います。書くというプロセスのなかで、自分の意思を以て丁寧に言葉や表現を選択し、文字や文章に起こしていきます。これによって、その時々に抱いた自分の考えや思いが丸裸になってしまい、いつでも振り返ることができてしまいます。

こんな風に考えてみると、「文章とは人を写し出す鏡である」と気づかされます。時折、過去の文章を見返すと、自分の未熟さを突きつけられるようで、顔から火が出るような思いをすることがあります。まあ、今の自分の文章も拙劣で、人間としてもまだまだだなあと思うわけですけれども…

もっと人を魅了するような豊かな文章が書けるようになりたいと思う今日この頃です。
拙い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

夕焼け 島原

長崎県島原市の夕焼け

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