香港デモを見た日の日記
逃亡犯条例に反対するデモが2019/8/19に香港の中心地で行われていたのを見たときの感想です。8/19に書いたものを後に部分修正したもの。状況は大きく変わっていると思います。
「香港のデモ」というと暴力を伴うものという印象を持っていたが、思いのほか平和裡に行われていた。また、雨にも関わらず、道路を埋め尽くさんばかりに集う黒服集団には、時代のうねり・人々のパワーのようなものを感じずにはいられず、鳥肌がたった。「雨傘」 というデモの象徴物を使用しての行進により、さらに力を得たのかもしれない。実数よりも勢いが感じられた。このムーブメントを自分の目で見ることができたのは良い経験になった。また、大規模なデモを「行える」、そして、警察が行進を妨げない(警察力の不足かもしれないが)「香港」という土地が民主主義・自由主義の空間だと肌で感じた。自由な世界都市香港のありように改めて感心するばかり。中国とは違うアイデンティティを持ち、独自に発展してきた場所であることを強く感じた。
一方で、ネガティブな印象も数多く受けた。2つある。香港のデモの人々の多くはこのデモの目的を正しく理解できているのか疑問だった。どうしても「お祭り」のパレードという印象を拭えなかった。自由を求めて戦うということの意味を把握できているのか。逃亡犯条例の内容を詳しく知ろうとした人がどれだけいるのか。標語を叫んで行進すること・デモをすることが目的化しているような感じがした。2つめは大人の参加者が少ないこと。大人はデモを歩道橋の上から写真で撮る野次馬で、若者が行進をする。(私も野次馬のひとりなので、人のことを言えないが。)この世代間の構図に違和感をおぼえた。サイレントマジョリティの大人たちは、果たして香港の未来をどう考えているのか。そんな疑問が浮かんだ。全世代を巻き込んで、問題点を共有した上で、声を上げないと香港の自由は守れない。
今回の香港デモを受けて、自分はどうだろう?ということを常に考えてしまった。自分のことを省みてみると、不満をタラタラ流すか、無関心を決め込むか。少し情けなかった。大人になったのだから、社会のことにちゃんと関心を持つ。その上で、メディアや分かりやすい言説に踊らされることなく、多様な見方を比較・検討した上で、自分の考えを持てるようになりたいと思う。
香港の自由はいつまで続くのか。この自由な香港をずっと見ていたい。
~京都に帰ってきて~
沢木耕太郎の『旅する力―深夜特急ノート』より
「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。(中略)中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねないんだ。どんなに長くその国にいても、自分には良くわからないと思っている人の方が、結局は誤らない。」(p117)
訪れた土地のことを少し見ただけで、分かるなんてありえない。香港のことを分かるようになったと思いきや、ほとんど分かっていなかった。それはどんなに長く住んだ土地にも当てはまる。1度デモを見ただけで、こんなエラソーなことを書くのは傲慢だと思う。でも、自分個人が見たこと・感じたことを素直に書くことは許されるんじゃないかな。そんな風に思います。あくまでも個人の感想なのであしからず。間違っている部分があったら、ぜひ教えてください。ここまで読んでくださりありがとうございました。ではでは。
2019/8/19 香港島でのデモの様子
2019/8/19に日記を書きました、それを2020/05/16に修正し、~京都に帰ってきて~の部分を追加しました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?