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秋になると果物は

八木重吉の詩に「秋になると 果物はなにもかも忘れてしまって うっとりと実っていくらしい」というものがある。秋になると、毎年しっかりと思い出す。

秋は人も実るだろうか。なにもかも忘れることができれば、少しは甘さが出るだろうか。寒くなるとどうしても輪郭を意識してしまうし、誰かと輪郭を溶かしあいたくなるし、会いたくなる。

数年前、大学の音楽サークルの後輩がプロデビューし、今年引退した。プロになるにあたって京都から東京へ旅立つ前に行われた最後のライブで、前座に呼んでもらったことがある。シンガーソングライターである彼女は、ライブハウスいっぱいの人を集めていた。一曲ごとにMCがはさまり、いかに子供の頃からミュージシャンに憧れていたか話す姿は美しかった。ロケットのように目標へまっすぐ飛んでいく、美しくて、かっこいい生き物だと思った。当時の僕は本当にゆがんでいて、今よりもしょうもないやつだったけれど、素直にそう思った。帰り道でも、次の日の朝も、その言葉を反芻していた。曲自体は好みではなかったけれど、良い歌だった。

彼女がどうして辞めようと思ったのか、きっと一言では語れない様々な要因があるのだろう。言語化できないこともあるのだろう。もしも結婚だったり他にやりたいことができたりといったことがあったとしても、それはその内の一要素でしかないと思う。

秋になると果物は、なにもかも忘れてしまって、うっとりと実っていくらしい。この詩は、結核で死の淵にあった八木重吉が書いた詩であるとされている。29歳で果てた彼の生涯について、秋の夜に考える。必要なことと、大切なことだけ覚えて、いやそれすらも綺麗に忘れて、うっとりと実っていきたい気がしてしまう。彼女の美しいロケットが、これからどこへ向かうのか楽しみにしている。

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