【おまけ】暗闇の中の五光

昨日の記事のおまけ

https://note.com/sukeki4/n/n5871233d98ed


実は地震当日にも客は訪れていた。
近くの居酒屋だろうか。中年の女性が必死の形相で、自動では開かなくなったドアを叩いていた。
ドアを強引にスライドし、女性の話を聞けば停電により水槽の酸素ポンプが止まりこのままでは魚が死んでしまう。とのことだった。
女性は単一の電池を購入し帰っていった。
停電の被害では、人間よりも魚の方が死に近い存在なのだ。
そういえば我が家で飼っていた金魚はどうしているだろうと心配になったが、約一日酸素の供給がなくとも死にはしなかった。
夜店の金魚はたくましい。

次にやってきたのは中年男性だった。
雑貨コーナーからレジに持ってきたのは花札だった。
電気のない部屋での娯楽は、もっぱらテレビかゲームがメインとなっている現代で地震から1時間も経たずにその男性は電力に頼らない娯楽を求めて足を運んできたのだ。
男性は食料品には目もくれず、花札だけを購入して退店していった。
どうせテレビも見られないしすることがないなら花札でもやるか。そんな気持ちだったのかは想像でしかないが、翌日には店内にあった定期的に埃を払っていたトランプと花札は完売した。
こんな状況で娯楽に興じることは不謹慎かもしれない。実際に震災からしばらくは不謹慎という言葉が飛び交った。
私はこんな状況だからこそ。と思う。
もちろん大勢の人が亡くなった。私たちのような大きな被害に遭わなかった者も、連日増えていく死亡者、行方不明者、避難生活を余儀なくされた方々には胸を痛めた。
けれど私たち無事だった者がそんな中で笑うことはいけないことなのだろうか。
頼りない灯りで夜を過ごす心細さを花札でもトランプでも、少しでも紛らわすことができるなら、それはそれで非常時を乗り切る術ではなかろうか。
深い悲しみはおそらくいつか、ほとんどの人間に訪れる。その時に心の底から悲しみ、溢れるがままに涙すればいい。
笑える時は笑えばいい。日本中が俯いて生きる必要はないと思う。
被災していない私たちが僅かな恐怖心を考えうる限りの娯楽で払拭すれば、それはきっとほんとうに辛い人たちを支える力になるかもしれない。
こちらが気落ちしていてばかりでは、手を差し伸べることもできないのだから。
またいつか誰かを助けるために、笑える時は笑って手を伸ばす時のために力を蓄えよう。心許ない気持ちを晴らすために、楽しむことを忘れないようにしよう。

あの日、かき集めた僅かな灯りの中で花札やトランプを囲む姿を想像する。
あの人たちの不安は少しでも紛れたのだろうか。

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