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シン・ゴジラ 2016年

畑作業をしながら、国会の閉会中審査の動画の音声だけ聞いていました。

新宿が、新型コロナウィルスのエピセンター化しているという東京大学先端科学技術研究所の児玉教授の説得力と熱意に満ちた訴えに対する政府側西村経済財政相の、いつものはぐらかし答弁。

久しぶりに覗いた青空の下だというのに、なんだか言い知れない暗鬱な気持ちにさせられてしまいました。



大丈夫かよ。我が国は。



中国の武漢で発生したCovid-19 は、世界各地に広がり、徹底検査をなおざりにして、中途半端な感染防止策の中、経済優先に舵を切り、「GO TO キャンペーン」なんていう呑気な政策を国会で通そうとしているうちに、「東京・埼玉型」という不名誉な怪物に進化し、明らかに、再びその牙を我々に剥き始めています。



いまだその全貌を明らかにしない未知のウイルスに襲われた街・東京。

そんな状況の中で、この国の財務大臣は、涼しい顔をして、ホテル・ニューオータニで、1000人規模の政治資金集めパーティをやっている始末。

我が国の政府の、危機管理に対する意識は、ほぼ絶望的と思わざるを得ません。

この国の中枢に、果たして本気で日本を救おうという気で働いている者がいるのか。

いやいや、それよりもっと深刻なことは、この国を救う能力のある者はいるのか。

大臣や官僚たちの情けなく、説得力皆無の答弁を聞いていると、絶望的な気持ちになってきます。

つくづくと思いますが、我が国の中枢を、自分の保身しか考えない無能なイエスマンたちの巣窟にしてしまった、安倍内閣の罪はとことん重い。



まあ、畑の草むしりをしながら、一百姓がそんなため息をついたところで、どうなるというものでもありませんが、ふと再見したくなった映画が一本。

2016年製作の「シン・ゴジラ」です。



「シン・ゴジラ」は、ハリウッド製作による「GODZILLA」の大ヒットを受けて、製作が決定された本家本元東宝製作による最新ゴジラ映画。

総監督は、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明で、監督は「進撃の巨人」の樋口真嗣。

日本のゴジラ映画では初となるフルCGで蘇った「シン・ゴジラ」

このゴジラを迎え撃ったのは、本作では「日本政府」。

字幕で淡々とその役職を紹介されていく、政府や自衛隊のキャストは総勢328名。

今までのゴジラ映画では当たり前だった、一般市民の狂言回し的役は今回はなし。

登場人物はほぼその「職務」として、ゴジラ対応にあたっている人物ばかり。

彼らのプライベートは、一切描かれていませんでした。

こんなゴジラ映画は、初めてでした。

ゴジラ以外は、徹底的にリアルに、「巨大不明生物」に対する危機管理対応の詳細を物語の中心に据えた映画です。

あえていうなら、「ゴジラ対日本」でしょうか。

最後にゴジラの息の根を止めたのも、僕の覚えている限り、超兵器や怪獣に頼らない最もアナログな作戦。

ゴジラ映画の子供化に伴って、特撮映画離れをしていった僕らの世代のファンをも十分に納得させる庵野版ゴジラでしたね。

この映画が出来てしまったら、もうゴジラは、二度と「着ぐるみ」には戻れないような気がします。

この映画には、そもそも「怪獣」という言葉さえ出てきませんでした。



それくらい徹底的にリアルに作られた「シン・ゴジラ」でしたが、唯一のアンリアルが石原さとみ演じるアメリカ大統領特使。

英語の発音は頑張っていましたが、ちょっとこのキャラは無理があった。

最後は、米軍との共同オペレーションで、ゴジラに立ち向かい、核攻撃の一歩手前で首尾よくゴジラを凍結。



最後は、巨大不明生物特命大臣になっていた主人公・長谷川博己が、石原さとみ特命大使にこういいます。



「結果はどうあれ、多くの犠牲者を出した。その責任を取るのが政治家の仕事だ。政治家の責任の取り方は、自らの進退だ。自分の責任は自分が取る。」



新型コロナウィルス対策で、これだけの失策を繰り返し、犠牲者を産んできた我が国の政府関係者の方が聞いたら、さぞや耳が痛いセリフでしょう。



脚本を書いた庵野監督が、まさか今回のこの事態を想定していたとは思えませんが、最後に主人公に、しっかりとこう言わせていましたね。



「もはや、人類はゴジラと共存しとていくしかない。」



Covid-19 も、ゴジラも、いわば人類がなりふり構わずしてきたことのツケ。

その責任は、やはり我々人類が取るしかないということでしょう。







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