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ボヘミアン・ラプソディ 2019年

誠に、今更なんですが、大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」をやっと鑑賞いたしました。
友人達の評判は良かったので、いつか見なければと思いつつ、タイミングを逸しておりましたが、Amazon プライムの特典ラインナップに追加されておりましたので飛びつきました。
そうそう映画館には行けない貧乏百姓としては感謝です。
 
なんといっても驚いたのは、クライマックスのウェンブリー・スタジアムでのライヴ・エイド・パフォーマンスの描写。
見終わってから、YouTubeで、映画と実写の比較映像を見つけて確認しましたが、これがほぼ完璧に再現しているんですね。
映画の方では、二曲ほどカットされていましたが、撮影は全曲分行われていたようです。
フレディの弾くピアノの上に置いてあるペプシの紙コップの置き具合まで完璧に揃えてあって、これにはちょっとビックリ。
クイーンのメンバーを演じた俳優達も、大したもので、20分ちょっとのステージでのアクションを完璧にコピーした上で、きちんと映画のドラマとしての演技もこなしていて、見事でした。
 
クイーンは、オジサンの世代なら、そのデビューの頃から知っています。
イギリスでブレイクしてから、アメリカではなかなか火がつかなかった彼らですが、その前に彼らを世界に押し上げたのは、当時の日本の女の子達でした。
1975年の4月に彼らが来日した時の、彼女達の熱狂は凄まじかったですね。
基本的には男性誌である「ミュージック・ライフ」を持ってきている女子が、クラスの中にも複数いました。
当時の若者向けバラエティ番組「銀座ナウ」に、クイーンのメンバーが出演した時のことはよく覚えています。
その後クイーンは、もちろんアメリカでもブレイクを果たしますが、自分たちを盛り上げてくれた日本のファンのために、「華麗なるレース」という1976年発表のアルバムの中で、「手をとりあって」という、日本語の歌詞が登場する曲を収録しています。
 
このクイーンの活躍を、リアルタイムで知っている世代ですと、自分なりの思い入れがあるだけに、違う俳優が演じるスタイルの映画化は、正直言って少々抵抗があったということは白状しておきましょう。
例えば、ビートルズの3本の主演作(「イエロー・サブマリン」を入れれば4本)や、当時大好きだったABBA の「ABBA THE MOVIE」は、どれも本人達主演の映画になっていましたので、こちらも音楽を含めて違和感なく楽しめました。
もちろん、彼らの本業はアーティストですから、映画自体も演技力を要求されるようなストーリーにはなっていません。
でも、映画としては、その軽いノリで、ファンとしてはなんの問題もなし。
むしろそれが、個人的には心地良かったわけです。
なんといっても、本人達が、本人達の楽曲を歌っているのですから、見ている方は映画をMTVのように楽しめます。
思えば、まだアーティスト達が、ビデオ・プロモーションを始める前の時代でしたね。
 
音楽よりも、ドラマの方に軸足を置いたロック・スター映画もありました。
思い出すのは、ベット・ミドラー主演の「ローズ」。
この映画のモデルは、60年代のロック・クイーンであるジャニス・ジョップリン。
ベット・ミドラーは、歌手ですが、演技力も抜群の人でしたので、この映画はドラマとしてもちゃんと成立していました。
但し、あくまで、ジャニスをモデルにした映画ですから、映画の中にジャニスの楽曲は出てきません。
あくまでも、「ローズ」という架空のロック・スターのお話。
 
バル・キルマーが、ジム・モリソンを演じた「DOORS」という映画もありました。
監督があのオリバー・ストーン。
メグ・ライアンが演じた恋人との恋愛を軸にしていましたが、こちらは音楽映画というよりも伝記映画。
 
思えば、アメリカ映画には、伝統的にミュージシャンを描いた、このスタイルの映画はたくさんありました。
タイロン・パワーとキム・ノヴァック共演の「愛情物語」は、ピアニストのエディ・デューティンのお話。
「グレン・ミラー物語」は、ジェームズ・スチュアートが主演。
「ベニー・グッドマン物語」なんてのもありましたが、思えばこれらは全部1950年代の映画でした。
「お楽しみはこれからだ。」で有名な「ジョルスン物語」は、世界初のトーキー映画に主演した歌手のアル・ジョルスンの物語ですが、主演はラリー・パークス。
挙げていけば切りがないですが、これらはみんな、アーティスト本人とは違う役者が演じています。
 
もちろん映画ですから、どの作品も、実話をもとにした上で、映画的に脚色されています。
 
その意味では本作も、ライブ・エイドのパフォーマンスをクライマックスにするための脚色はされています。
フレディが、メンバーへの相談なしにソロ活動を始め、やがてエイズに感染し、再び彼らの元へ戻ってから、そのことを彼らに告白するというくだりは、実際はライブ・エイドが行われた1985年よりもずっと後のことです。
映画では、クライマックスを盛り上げる伏線として、ライブ以前のシークエンスになっていました。
 
この作品が、これまでのロック・スター伝記映画と、明らかに違うテイストになっていたのは、やはり正面から、フレディのLGBT問題を扱ったこと。
いやいや、もはやこれを軽々しく「問題」などと、言ってはいけない世の中なのかもしれません。
続けてエルトン・ジョンの伝記映画「ロケット・マン」も公開されていますが、エルトン・ジョンは、正式に男性のパートナーを得た人。
こちらにも、男性同士のラブ・シーンは登場してきました。
それでも、二つの映画は大ヒットしているわけですから、観客たちも、しっかりとこのことは引き受けた上で、映画にエールを送ったということです。
僕が会社を定年退職して、百姓をやっているうちに、世の中はだいぶ変わってきているようです。
 
フレディ・マーキュリーのLGBTを、僕が知ったのは、もちろん彼がエイズで亡くなった後のことでした。
しかし、それを知っても、そのことで、彼が残した楽曲が少しも色褪せることはないということは、この映画を見て改めて確認できました。
ちょっと、ホッとしています。
やはり、彼らの曲は、カラオケでは早々歌えるものではありませんが、素晴らしい。
これは、今でもずっと変わりません。
この映画を支持した多くの観客は、現役時代のクイーンを知らない世代です。
もしかしたら、なまじリアル・クイーンを知らない世代の方が、今の世の中の空気をしっかりと感知した上で、僕らの世代よりも、案外素直にこの映画を受け入れ、感動できるのかもしれません。
 
映画の中で、フレディを演じた主演のラミ・マレックのこんなセリフがありました。
「この前歯のおかけで、口内が広くなるから、いい声が出るのさ。」(確か、そんな・・)
これが本当だとしたら、カラオケ愛好家としては、あの義歯を是非手に入れたいところです。
 
これまでは、撃沈することは目に見えていたので敬遠していた「ボヘミアン・ラプソディ」ですが、ちょっと歌ってみますか。

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