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老子ふたたび

「柔をよく剛を制す」



記憶を辿ると、僕が一番最初に触れた老子の金言は多分これでしたね。

当時の人気スポ根ドラマ「柔道一直線」に感化されて、中学に入ってから始めた柔道。

一度ハマると凝る性分でしたので、柔道の生みの親・嘉納治五郎翁の本などを読み漁りました。

「柔をよく剛を制す」は、ここに出てきましたね。

もちろん、それが「老子」にある言葉だとは知らずに覚えていました。

当時は、チビでしたので、いつか自分よりデカい相手を投げ飛ばすんだと、日々練習に励んでいました。



「大器晩成」



学校の成績は、あまり良くありませんでしたので、この言葉は、その言い訳に、ちょいちょい借用していました。



「千里の道も一歩から」



もちろん、これも老子の言葉とは知らずに、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」を歌っておりました。



さて「老子」です。



「老子」は、以前にも、岬龍一郎氏による「老子 心が安らぐ150の言葉」を読んでいますが、今回はドリアン助川著による「バカボンのパパと読む老子」「同・実践編」の二冊を、務めていた会社の社長からいただいて、再び2300年以上前の中国いにしえの超極上の「ぼやき」に触れておりました。

どこか、肩の力の抜けた、老子の悠然としたスピリチュアに触れていると、僕のような、軽佻浮薄な人間には、なんとも心地よい。

「あんたはそれで上等」と、優しく肩を叩かれているようで、ゆるゆると、思わずその世界に長居をしてしまいます。

特に、去年からは、30年務めた会社を早期退職をして、老後の展望などほとんどないまま、勢いだけで、百姓生活を始めています。

おかげで、人と会うこともほとんどなくなり、ほぼ毎日を、野良仕事に明け暮れています。

収穫した野菜は直売所でも販売しますが、今のところ大半は自給自足用。

どこに遊びに行くこともなく、家と畑を往復しているだけの毎日ですが、日々野菜達や自然と向かい合う暮らしは、案外悪くありません。

おかげで、巷のコロナ騒動とも、ほとんど無縁。

こうして、世の中から、完全にドロップアウトしてみると、この老子の言葉は、ますます心に沁み入ってきます。

中国の家庭では、みんなが集う大広間には、論語の掛け軸がバーンと飾られているけれど、それぞれの寝室の枕元には、そっと老子の本が置いてあるといいます。

これを、建前と本音ということで片付けてしまうと、論語を書いた孔子に怒られてしまいそうですが、やはり儒教には、どこか都市社会で生きていくようになった人間達のためのメンタル武装の趣があり、「無理してるなあ」感が、僕にはヒシヒシ感じらてしまいます。

儒教の思想は、中国から日本に渡り、巡り巡って、我が国の道徳教育にも、色濃く影響を与えています。



「お父さん、お母さんを大切にしましょう。」「年上の人には、礼を尽くしましょう。」「しっかり勉強して、偉い人になりましょう。」



確かに、これらを否定するつもりはありませんが、やはりどこか窮屈です。

それに、年齢を重ねて、世の中を斜にしか眺められなくなってくると、これらの言葉は、結局のところ、国の偉い人たちにとっての都合の良い思想を、言葉巧みに国民に刷り込んでいる方便に過ぎないぞと思えて仕方ありません。

というよりも、放っておくと、人間はこれとは全く真逆の方向へ流されていく生き物だからこそ、それを戒めるために儒教の思想が生まれたんだろうと考えるのが自然だと思えてしまいます。

社会を維持するために便利なので、儒教が利用されてきたとすれば、孔子の教えは、まさに都市社会のための哲学と言えます。

人間という、ややこしい生き物を、集団的に制御するのに必要な学問が儒教と考えると、論語が今なお、都市生活者に愛され、圧倒的に多くの人に読み継がれていることは理解できます。

読み継がれているという点では、老子は確かに今でも論語には遠く及びません。

それは、世界中のあらゆる国で、都市への一極集中が進行し、農村が過疎化しているという傾向と無関係ではないでしょうね。

しかし、こちらが都市生活から離れて、ひとたび百姓になってみると、話は違ってきます。

老子の教えは、以前よりもより、ずっとこちらの深い心の奥に響いてきます。

というよりも、百姓になったからこそわかることがたくさんあって愕きました。

論語が都市の論理だとすれば、老子は間違いなく、自然と向き合う農村生活者のための思想指南書と思えます。

たった5500文字。

原稿用紙にすれば、わずか12枚程度の、2300年前の竹簡に記された漢字の海が「老子道徳経」です。

もちろん、僕のような凡人には、いくら読んでもその深淵には辿り着けないかもしれませんが、この先まだ何度かは、読み返すことはあるでしょう。

これまでにも、いろいろな方達が老子の解説はされています。

しかし、その解釈は、微妙にそれぞれ違います。

でも、それはそれでよし。

老子の金言は、読んだ者のフィルターを通して、アウトプットされたものでいいということです。

結局のところ、老子の解釈は、押し付けられるものではなく、読んだ人それぞれの解釈でいいということ。

この辺りの「ゆるさ」が、読んでいて非常に心地の良い原因だと踏みました。

老子の金言は、自分の人生に落とし込んでこそ、初めて理解ができること、発見できることが多くあると、ドリアン助川氏も、バカボンのパパの言葉を借りて言っています。



老子の根幹をなす思想は、「道(タオ)」です。

言ってみれば、タオとは何かを説明しているのが「老子道徳経」です。

しかし、その第一章には、明確に書いてあります。

「タオとは、言葉では到底説明できないもの」

つまり、老子では、タオとはどういうものかを多く説明はしてはいますが、結局最後までそれがなんであるかという答えは述べていません。

「全宇宙のリズム」

「自然の法則」

「生命力の源」

確かに色々な説明は出てきますが、それが何かは、何回か読んでも、悲しいかな、今現在の僕の頭では理解できません。

でも、無理するな、それでいいよと老子は言ってくれています。

老子を読むのには、それでなんの問題もないということです。

そもそも、老子に何回か触れただけで、その真奥を理解したと思ってしまうこと自体が老子の哲学に反しています。

それを、知ったかぶりをして、教養としてひけらかしたりすることの方に大きな問題あり。それこそ愚の骨頂。

老子は、それをゆるく戒めています。

つまり、この教えは、その人の体内で消化されてなんぼ。

経営者には経営者。

サラリーマンにはサラリーマン。

そして、百姓には、百姓の老子解釈があっていいということでしょう。



「無為自然」



いまだに、わかるようで、わからない老子の言葉ですが、百姓だからこそ実感できることもあります。

春に植えた野菜の種や苗は、夏から秋にかけて実ります。

そして、収穫が終わると、種や種芋を残して、彼らは枯れていきます。

枯れた枝茎は、そのまま耕した土に埋めれば、腐葉土になって、翌春に植える野菜の栄養になります。

カラカラに乾燥させた枝茎を燃やせば、最後にそれは灰汁になって、これもまた畑の肥やしになります。

畑で育てた野菜は、その閉ざされた系の中で、太陽や雨などの自然の恩恵を受けながら、見事なほど無駄なく循環しています。

ところが、百姓はこのサイクルの中に、自分の都合で無断で乱入していきます。

水やりや草むしりの軽減のために、マルチというビニール化学製品を畑に張り巡らせます。

収量を人為的に増やすために使う大量の化学肥料。

雑草の除去や、害虫駆除のために使用する農薬。

これらの人工物は、当然のことながら、自然の中では循環することはありません。

収穫が終われば、畑にはボロボロになったマルチの残骸が残り、農薬は土壌にも野菜にも残ります。

異様に甘かったり、種がないなどの消費者のニーズに合わせた品種改良や、物流や店頭販売に効率の良い野菜を作るためのF1交配種も、人間の都合による自然への介入です。

一百姓として、これらを全て否定するつもりはありませんが、少なくとも「無為自然」の考え方からは、大きく外れている農法であるという後ろめたさは捨てきれません。

我が畑では、化学肥料、除草剤、農薬は使用しませんが、園芸センターで売っているF1交配種は買ってきますし、マルチは使用します。

そういう人間だって、自然の一部ではないかという思いはありますから、どこまでが「無為自然」の範囲かというあたりは常に悩ましいところではありますが、少なくともこの自然のサイクルを、その外側からコントロールしようなどと思い上がってしまうと、これは明らかに、老子の言うタオからは外れてしまいそうです。



「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる」



これも老子の中にあるエッセンス。

自然が長い年月をかけて作り上げてきたサイクルは、そう簡単には崩れませんが、人間が作り出したものは、確かに速効性こそありますが、長い目で見ればやはりその場限り。

そのサイクルは短く、あっという間に陳腐になってしまい、作り出した時には予想もしていない副作用が起こってくる。

それでもその恩恵を長い間受け続けてきた身としては、今更偉そうなことを言っても怒らてしまいそうですが、残り短くなった人生においては、せめて可能な限り、無為自然に寄り添っていきたいところ。

老子の哲学は、百姓という道を選んだ自分の人生の「言い訳」としては、誠に優れものです。

とにかく、読んでいて、ホッとさせられます。

ありがたや、ありがたや。

これからも、力になってくれそうです。

時折読み返しては、少しずつタオの正体に近づいていきたいところです。



老子を著した人物については不明な点も多く、確定はしていないそうです。

中国の歴史書「史記」を描いた司馬遷も断定はしていませんが、「老たん」という人物がその候補の一人。

この人は、周という国の書庫に勤める役人でした。

戦争に明け暮れる国に嫌気がさして、世捨て人になった老たん。

国境の関所を、牛に乗って通ろうとした時、役人に頼まれて、そこに何日か滞在して書いたというのが「老子道徳経」です。

それを役人に渡すと、老たんは、牛に跨って、また何処の空の下へ向かって、風のように、去っていったとのこと。

彼がどういう旅の暮らしをしていたのかは、想像するしかありませんが、以降は天涯孤独の身であったはずの老たん。

図らずも、似たような境遇になった者として、是非とも、我が部屋にお招きして、畑でとれたばかりの野菜料理でも食べていただきながら、老酒でも酌み交わし、人生について語り合いたいところ。(僕は酒はダメなのですが)

孔子先生では、とっつきにくくて、こちらが萎縮してしまいそうですが、老子翁であれば、こちらもリラックスして、コミュニケーションできそうです。



映画のポスターを貼り散らかしてある部屋には、フェデリコ・フェリー二監督の「道」のポスターも一枚。

イタリア語の原題は、もちろん”LA STRADA” ですが、なんだか”TAO”と読んでしまいそうで苦笑いしております。

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