裁判所の正体 法服を着た役人たち 瀬木比呂志・清水潔
梅雨明け後、畑仕事を早朝モードに切り替えて、気温が上がる日中は、たっぷりと昼休みを取るようにした結果、読書時間がけっこう確保できるようになりました。
こんなお堅い本を読み始めてしまうと、いつもならそこそこ時間はかかるのですが、今回は思ったよりも早く読み終えられました。
2020年は、思えばゴーン氏の海外脱出劇からスタート。
あの時に初めて、「人質司法」なる言葉を知りました。
え? 日本の司法は、今時そんな野蛮なことをやっているのかい?
「推定無罪」が常識なはずの裁判なのに、日本では起訴されればおよそ「推定有罪」でことが運ぶ。おいおい。
司法音痴の百姓としては、それが率直な感想でしたね。
黒川検事長の定年延長問題もありました。
国家権力を監視するべきはずの司法が、行政に牛耳られていることを図らずも露呈させた事件。
学校で教わった「三権分立」は、もはや機能していないと思い知らされました。
また最近では、森友事件で、公文書を改竄させられた後、それを苦に自殺にまで追い込まれた赤木俊夫氏の夫人、赤木雅子さんが、改竄を指示した当時の佐川理財局長とその関係者を相手取った裁判も始まったばかり。
どう控えめに見ても、もはや国家ぐるみの犯罪は覆しようもないと思われるこの事件。
これを我が国の司法はどう裁くのか。
胸のすくような判決を期待したいところですが、今の日本の司法に、それをどれくらいの期待できるものなのか。
というわけで、珍しく日本の司法に多少なりとも興味が湧き始めたところでした。
何か一冊裁判に関する本でも読んでみようかと、iPad に仕込んだ未読本の在庫を探したところ、こんな一冊が出てきました。
比較的新しい本で、2017年に刊行されたもの。
元裁判官の瀬木比呂志氏と、ジャーナリストの清水潔氏の対談本です。
これも、勤めていた会社の社長から頂いた本でした。
自分の守備範囲ではない本も、いただけるならどんどんもらっては、セッセとiPadに、自炊しては詰め込んでいたのが、こんな時に役立ちます。
木村拓哉主演の「HERO」は、映画になった2本は先日見たところ。
この本の中にもチラリと触れていましたが、あれは完全な映画のためのファンタジーだとのお話。
あんな検察官は実際にはいないということは、瀬木氏も断言していましたが、ならばどんな検察官ならいらっしゃるのか。
裁判官と言うと、こちらは勝手に、遠山金四郎や大岡越前守のように、全てお見通しの名裁きを下してくれる訓練を積んだ人というイメージがあります。
きちんとした証拠さえあれば、それに基づいて厳正な審理は行われ、間違った判決などそうそう出るはずがない。
冤罪などは、それが滅多にないことだからこそ、ニュースにもなる。
こちらはどこかで勝手にそう思っていました。。
しかし、この本を読み進むにつれ、次第に、そのあたりは全くの夢物語だと思い知らされ、だんだん暗澹たる気持ちになってきてしまいました。
「日本の裁判所が、いかに、欧米のそれらとは異なった「権力補完機構」なのかということ。このことは、強調しておきたいです。 」
元裁判官だった方がこうおっしゃるわけです。
たとえ相手が権力の中枢であってもきっちり裁くことが、本来の司法の役目であるはずが、その実態は、権力をサポートする機構に成り下がっていると。
それでも中には、良心にもとづく判決を下す裁判長もいたはず。
原発の再稼働を差し止める判決を出した方がいましたね。
「大飯原発3,4号機の運転差止め判決を出した樋口英明裁判長は、 地裁から外され、家裁に異動になりました。 」
なるほど、その後のこれは知りませんでした。
やはり組織の意向を無視した判決を出してしまうと、人事できっちりと報復させられるということ。
これは、司法の組織の中にいて、その空気を読めない裁判官は、出世はできないということ。
裁判官の世界も、官僚の世界と同じようです。
最も、裁判官たちも、特別職とはいえ、同じ役人であることには変わりがないわけです。
「良心を殺すことができなくてどこかに迷いが出てしまったような人は、絶対に一番上にはいけないし、また、どこかで挫折する場合も多い。日本的権力機構のメカニズムの特徴といえます。」
ああいう世界にいて、出世をのぞまない生き方は出来ないものなんでしょうね。
司法試験に合格し、司法修習を終えたばかりの若者が、何の社会経験のないまま、裁判官になっていく。
これが日本のスタンダード。
「裁判所というのは、現実感が薄い。一種の精神的収容所なので、ものが見えにくくなりますね。」
人間の悲喜交交を理解できず、心の機微を感じられない、ただ法律に精通しているだけの裁判官たちが、実際には多いということなのでしょう。
「日本では、裁判官は隔離され、かつ保護されている。 〜言い方を変えれば、狭い世界で飼いならされているというのが日本の裁判官のあり方です。」
刑事事件にしろ、民事事件にしろ、世間知らずの裁判官たちが、きちんとその身分だけは保護されながら、淡々と組織の意向に沿った判決を出して出世していく。
これが日本の司法の現実と言うことになると、やはり森友事件における強制的公文書改竄で自殺された赤木俊夫さんの奥さんが起こされた裁判も、どういう判決になるのかは想像できてしまいそうです。ああ、恐ろしい。
ただし、
「最高裁の判決も、「統治と支配」の根幹にふれる事柄は絶対に動かそうとしないかわり、それ以外のところでは、可能な範囲で世論に迎合するという傾きがあります。」
初めから結論が決まっていそうな今回の裁判に、もしも異変が起こることがあるとしたら、それはやはり世論の盛り上がりが絶対不可欠ということになりそうです。
退官間際で、今まで不本意な判決を出し続けてきた裁判官が、最後に自らの良心に従って、その後の報復処置も飲み込んだ上で、原告勝訴の判決を下す。
この際はそんな、映画チックな展開を祈るのみ。
あの前川喜平元文科省次官のような「面従腹背」の裁判官がどうかまだ生き残っていて欲しいものです。
本書には、印象的に、ボブ・ディランのインタビューの一節が紹介されていました。
「俺にとっては右派も左派もない。 あるのは真実か真実でないかということだけ」
2020/8/9
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