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東京流れ者 1966年

8月10日に、渡哲也さんが亡くなりました。

そのせいかもしれませんが、Amazonプライムに、彼主演の旧作日活映画がアップされていたのを発見。

製作されたのが1966年です。

渡哲也さんといえば、なんといっても「大都会」「西部警察」。

大門軍団を率いて、日本各地の地方都市で、派手な銃撃戦と破壊を繰り返していた頃の元気な姿が忍ばれます。

大河ドラマや、石原プロの社長兼俳優として、テレビで活躍していた記憶は鮮明ですが、出演していた映画を見た記憶というのが、ほとんどありませんでした。

グリコ・森永事件を題材にした高村薫原作の映画「レディ・ジョーカー」が唯一記憶にあるくらい。

高橋英樹と共に、日活晩年の看板俳優として活躍していましたが、その頃の作品はほとんど見ていません。

この「東京流れ者」は、そんな中の一本。

デビュー2年目、渡哲也25才の時の作品です。

ヤクザ映画ではありますが、監督があの鈴木清順。

鈴木清順といえば、「清純美学」と呼ばれる、原色を強調した美術が独特の雰囲気を生んでいた作品群が有名。

その彼が監督した異色ヤクザ映画です。

この作品と、その後に作られた「殺しの烙印」が、当時の日活のカラーにはそぐわないと、鈴木監督が日活を解雇されたのは有名なお話。

それゆえ、この二本は、後に清順ファンの間で、カルト映画として評判を高めていくことになります。

まるで前衛芸術のようなシュールで、シンプルなセットで繰り広げられるアクションは、その後に続く東映実録ヤクザ路線とは、全く異質のヤクザ映画です。

鈴木清順は、日活を解雇されてから、およそ10年の間映画を作ることができませんでしたが、満を持して撮った「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」の大正ロマン三部作は、その鬱憤を晴らすように、一切の妥協を排して作った彼の代表作。

圧倒的な「清純美学」が炸裂した作品群です。

鈴木清順の名は、ここから世界に知られるようになりました。

その意味では、この「東京流れ者」は、日活のヤクザ映画という制約の中で、ギリギリの清順色を出したという意味で、実に興味深い作品ではあります。

映画冒頭の、モノクロからパートカラーになり、オールカラーになっていくという画面構成。

渡哲也の淡いブルーのスーツ、二谷英明のグリーンのジャケット、そして、敵のボスの真っ赤なスリーピース。

原色の壁の色、雪の白、血の赤・・

確かに、後の大正ロマン三部作に通じるテイストが満載。

映画的虚構を逆手に取った、アートな演出は、やはり鈴木清順ならでは。

「ラ・ラ・ランド」を撮ったディミアン・チャゼル監督が、自分の作品は「東京流れ者」へのオマージュだと述べていましたが、確かに鈴木清純の構築する世界は、ミュージカル映画とは相性がいいかもしれません。

思えば、彼の遺作となったのは「オペレッタ狸御殿」というミュージカル風映画でした。

映画の中で、主題歌を歌っていたのは、渡哲也の恋人で歌手役の松原智恵子。

僕の世代では、この人といえば「時間ですよ」の、松の湯の若奥さんフミ役ですが、Wiki してみたら、この方の実家は実際に銭湯だったそうで、ビックリしました。

「東京流れ者」は、歌謡曲としては、竹越ひろ子との渡哲也の競作です。

僕が、子供の頃に覚えていたのは、竹越バージョンでしたね。



流れ流れて東京は そぞろ歩きはナンパでも

心にゃ硬派の血が通う



歌詞の意味も分からず歌ってましたね。

映画では、もちろん渡バージョンが使われていましたが、歌詞もメロディも微妙に違っていました。



昭和を代表するスターが、また一人亡くなりました。

渡哲也さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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