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コットンが好き 高峰秀子

コットンが好き 高峰秀子

先日、「乱れる」を鑑賞した流れで、本書を手に取りました。
おっと、「手に取った」は正確ではありません。
iPad から引っ張り出してきたというのが正解。
昔、高峰秀子の主演作「浮雲」を見て、彼女の大ファンになり、その勢いで彼女の筆による「私の渡世日記 上下巻」を読んで、またまたその達者な文才に惚れてしまいました。
「天は二物を与えず」とは言いますが、彼女はその限りにあらず。
最も「一芸に秀でるものはある多芸に通ず」とも言いますから、この人が本気になれば、エッセイだけでなく、他のこともそこそここなしてしまうような気はしてしまいます。
彼女のエッセイは、一時期集中的に仕入れて、まだ未読のものが、何冊かiPadの中で眠っています。
今回はその中の一冊です。

今回のお題は、彼女が日常生活で愛用している「お気に入り」の品々を主人公にしたショート・エッセイ。
大女優の愛用品というわけですから、さぞかし豪華絢爛な調度品なり、小物が登場するのかと思いきや、どれもこれも庶民テイストの、素朴で愛らしい品物ばかり。
例えば、徳利、盃、箸置き、醤油差し、花瓶、弁当箱などなど。
骨董品集めが好きだという彼女の、お眼鏡に適ったものは、時に300円のシロモノだったりでニンマリ。
本書の中で、著者が繰り返し語っているのが、とにかく彼女は徹底的な実用主義であるということ。
買ったものは、例えその用途が違っていようと、とにかく使い倒すというのが彼女の流儀のようです。
考えてみれば、そうであるからこそ、そんな品々に愛着も湧いて来るというものでしょう。

しかし、こんな何気ない身の回りの小物一つや、調度品を取り上げて、これだけ味わい深い文章に展開できるのですから、なんともあっぱれな文才です。
僕もそこそこの作文オタクですが、何を書くにもとかくダラダラと長くなり過ぎていけません。
しかし、彼女のエッセイは、みんなピリッと簡潔で、どれも切れ味抜群。
やはり、幼少の頃から、名監督たちの脚本と格闘してきた女優としての経験は伊達じゃなかったようです。

彼女が、映画界にデビューしたのは、数えで5歳の時。
昭和初期は、まさに映画産業華やかし時代で、彼女は養母に連れられて毎日のように撮影所通い。
小学校もろくに通えなかったそうです。
そして、子役から、見事に美人女優に成長して、大スターへの道を登り詰めていきます。
本人なりのさまざまな葛藤もあったようですが、昭和30年に、木下恵介監督の助手だった脚本家の松山善三氏(彼女曰く「夫・ドッコイ」)と結婚。
女優業も続けつつ、夫の脚本の口述筆記もしながら、文章修行をしたようです。

彼女のエッセイを読んで感じることは、女優という、ある意味「異常な世界」に身を置く自分を冷静にメタ認知し、それは認めつつも、それに染まり切ることは潔しとせず、常に「普通の感性」を意識して、できる限り、そちら側に身を置こうと努力していたことですね。
おそらく、そのための、リハビリ作業にあたるのが、彼女にとっては「文章を書く」という作業だったような気がします。

とにかく、映画史にその名を残す銀幕の大スターの日常が綴られているにも関わらず、どのエピソードをとっても、なぜか、それがみんな身近に感じられて、納得させられてしまうのは、まさに高峰秀子マジック。
飾らない、気取らない、型にはまらない彼女の、変幻自在な文章は、時に鋭くツッこみ、時にリリシズムに溢れ、時にユーモアいっぱい。
読んでいて、全く飽きさせません。

本書には、高峰秀子の愛用品たちの、おすましした写真も随所に登場します。
その中にあった「線香スタンド」に、ハタと目が止まりました。
もうほとんど、一目惚れです。
どうしても欲しくなって、そのまま、Amazon に飛んでいき、似たような商品を見つけて、ほぼ衝動買い。
660円でした。

ああ、楽しみ!

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