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40年前の東京

図書館で借りてきた本です。
サブタイトルが、「春日昌昭のトウキョウ 昭和38年から昭和41年」というモノクロの写真集ですね。
タイトルは「40年前」ですが、本書は2006年に出版された本ですので、今から遡れば実際にはおよそ60年前の東京ということになります。
ちょうど昭和39年に開催されたオリンピックに呼応するかのように、地響きをたてて、東京の街が様変わりしていった様子が、克明に活写されています。
春日氏は、その空気を肌で感じながら、何か「使命感」のようなものに駆られて、東京のいろいろな街に出かけては、シャッターを切りまくったようです。
ちょうど、この時期は、僕も東京に住んでいました。
8歳で、埼玉県に引っ越しましてきたのが昭和42年。
それまでは、東京都大田区大森のダウンタウンに住んでいました。
本書にも、蒲田駅界隈の写真が何枚も掲載されていますが、その頃はまだ子供ですので、記憶にあるのは、京浜急行の平和島駅から大森駅にかけてくらいまで。
ただ、子供心にもよく覚えているのは、町のあちらこちらに、上映中の映画のポスターや看板が貼られていたこと。
今のように、インターネットなどない時代ですので、みんなこれを見て映画館に行っていた時代です。
この写真集を眺めて、改めて確認しましたが、とにかくどれも気合が入っています。
いわゆる「成人映画」のポスターも、当たり前に貼ってありましたし、普通の映画であったても、かなり扇情的だったんですね。
中身はともかく、ポスター、看板に限っていれば、明らかに今よりも迫力満点でした。
もちろん子供には見に行けない映画でしたが、そんな「そそられる」ポスターの前に立って眺めながら、勝手にあられもないことを妄想していたマセガキでした。
とにかく、僕がこの頃になりたかった職業は、漫画家ともう一つが、映画の看板描き。
今でも、ブログで映画レビューする際に、下手なイラストを描きたくなるのも、この頃の影響が大きいと思います。
毎日通う畑は、東京都青梅市がありますが、青梅の街には、すでに映画館はないのに、古き良き時代の映画の看板が飾ってあり、これを「街おこし」の一つににしています。
僕のようなクラシック好きな映画マニアとしては、見てるだけで幸せになりますね。

もちろん、我が家の壁にも、所狭しと、映画のポスターが貼ってあるのはいうまでもありません。

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