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ゲッタウェイ 1972年アメリカ

ゲッタウェイ 

本作も未見でした。
理由は、ハッキリしています。
映画は、女優で追っかけるタイプでしたので、いかにスティーブ・マックイーンがカッコよくとも、残念ながら、共演のアリ・マッグローがタイプではなかったんですね。
もちろん、「ある愛の詩」は見ていますが、基本が、フェロモン・ムンムンのナイスバデイ系がお好みでしたので、いかにモデル出身のスラリとしたスタイルでも、彼女の場合はちとセックス・アピールにかけました。
ですから、1994年にリメイクされた、アレックス・ボールドウィンとキム・べシンガー版の「ゲッタウェイ」は、しっかり見ています。
キム・ベイシンガーは、ミッキー・ロークと共演した「ナイン・ハーフ」で、しっかりとムラムラさせられていましたので、実際の夫であるアレックス・ボールドウィンとのラブ・シーンが必至の作品なら、相当エロい絡みが期待できるかなと思ったわけです。
しかし、残念ながら、1994年度版の見所は、まさにそこだけでした。
サム・ペキンパー監督のバイオレンス美学は、前作の「わらの犬」で強烈にその洗礼を受けましたので、要チェック監督となっていました。
他にも、出世作となった「ワイルドバンチ」や「ガルシアの首」はしっかり見ています。
殺戮シーンで駆使されるスローモーション撮影は、後のバイオレンス演出の定番になっていきました。

本家本元の「ゲッタウェイ」は、今回初めて見ましたが、やはりリメイク版よりも映画としては格上という印象。
いかに、アリ・マッグローが好みではなくとも、やはり本作の基本は、スティーヴ・マックイーンのカッコ良さにありました。
なんと言っても、この人は、「キング・オブ・クール」と呼ばれた人。
本作ではドク・マッコイという銀行強盗を演じていますが、とにかくどんな役を演じても、彼が演じれば、みんなスティーブ・マックイーンになってしまうところが、この人の凄いところ。
まさに、これこそスターというものです。
彼の場合は、とにかく身のこなしや男っぽい仕草がいちいちカッコいい。
本作での真骨頂は、やはり何といってもその華麗なガン・プレイでしょう。
銃撃シーンは、当然本作の最大の見せ場になりますが、コルトM1911にせよ、散弾銃にせよ、その扱いが実にこなれていて、リアルなんですね。
それもそのはず、彼は、海兵隊での実戦経験がありますから、銃の扱いはお手の物。
弾倉の再装填にせよ、撃つ時のグリップにせよ、なにをとってもいかにも「本物」らしいわけです。
映画の中に、至近距離で相手を撃とうとするシーンがあるのですが、向けた銃口の手前に左手をそっと添えるんですね。
おそらくは、飛び散る脳味噌や血飛沫が、服につかないようにするための所作なのでしょうが、これがいかにも自然で、あれは絶対に経験があるものにしか思いつけない技だと感心しきり。
パトーカーをショットガンで破壊するシーンも、映画評論家の町山智浩氏の話によれば、実弾を使っているらしいとのこと。
派手に火花が飛び散らないあたりが、かえってリアルでした。

よくよく考えてみると、男女カップルの逃避行を描いた作品という意味では、本作は「俺たちに明日はない」を相当意識しているようにも思えます。
しかし、決定的に違うのはラスト。
「俺たちに」では、主人公の二人は、蜂の巣にされて壮絶に死んでしまいますが、本作では、銀行強盗をした二人が、追手を殺しまくった上で、最後は逃避行に成功。
ギクシャクしていた関係もしっかりと解消して、無事にメキシコの国境に向かってトラックを走らせていくというハッピー・エンド。
ヘイズ・コードでガッチリと映画上のモラルが縛られていた頃のアメリカでは、まず有り得ない結末です。
このヘイズ・コードによる呪縛からアメリカ映画を解放した最初の作品が「俺たちに明日はない」と言われていますが、それから本作までの間に、果たして「悪党」のハッピー・エンドで終わる映画があったかどうか。
おそらく、本作がそのスタイルのパイオニアになったのではないでしょうか。

本作の音楽に、クインシー・ジョーンズが起用されたのは、スティーヴ・マックイーンの要望によるものだったそうですが、印象的なハーモニカの演奏が、トゥース・シールマンスだったのは、ラストのクレジットで気がつきました。
トゥース・シールマンスといえば「真夜中のカウボーイ」で、あの印象的なメイン・タイトルでハーモニカを吹いていた人。

超過激なバイオレンスと、哀愁のハーモニカは、実に相性がよろしい。

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