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無III 自然農法 福岡正信

6年前に勤めていた会社の畑で、野菜作りを始めたとき、一番最初に読んだ本が、福岡正信氏の「わら一本の革命」という本でした。
自然農法の創始者が、その深淵さについて語った本でしたが、これがとにかくカッコよかった。

「自然を支配しようとしても人間にはできない、ということである。できることは、自然の営みに奉仕することである。自然の節理に従って生きるということである。」

自然農法の、3つの原則は、「不耕起」「無農薬」「無肥料」。
とにかく、人間は余計なことをするな。畑に余計な物を持ち込むなというわけです。
人知は、いつでも大きな自然の一部しか見ておらず、自分都合のひとりよがりに終始する。
けして、自然の完璧なプログラムを支配することはできない。邪魔するだけ。
ならば、下衆の勘ぐり休むに似たり。
黙って、自然のやることのお手伝いをしていなさい。
これで、畑からは最高のパフォーマンスが引き出されるというわけですから、農業に足を踏み入れたばかりの百姓見習いには、とても魅力的でした。
その後、青森県のリンゴ畑で自然栽培を成功させた木村秋則氏の本なども読破。
もちろん、慣行農法による野菜作りの本も勉強しましたが、やはり自然農法の魅力には勝てません。
会社を定年退職してからは、農業フェアを通じて、日本全国あちらこちらの農家に見学や研修に行きました。
しかし、地方で大規模に農業をしているところで、自然農法や、有機農法をやっている農家は残念ながら極めて少数派。
そんな農家のご主人に、おそるおそる聞いてみると、回答はほぼ一緒。

「趣味で作るならいいけど、商売にはならない。」

広い耕地面積で、いかに採算のとれる農業をするかと考えれば、一番高くつく人件費を抑えるために、農薬や肥料や機械は使わざるを得ない。
確かに、農業もビジネスである以上、それもやむを得ないことかもしれません。
福島県の十反もある広い畑で、ファストチェーンに出荷するネギを作っていた農業法人の社長は、GPS搭載で、完全自動制御のトラクターを前にして目を輝かせていましたが、彼はもう完全にビジネスマンの目をしていて、百姓のそれではありませんでしたね。

自分の目指す農業は、これではないと思いつつも、悶々として、畑で野菜作りをしておりました。
およそ300坪ほどの畑ですから、一応耕運機も一式揃ってはいるのですが、なんとかセッセと体は動かせば、農作業は手作業でやつていける広さです。
自然農法とまではいきませんが、無農薬で、化学肥料は使わず、有機肥料を使っての野菜づくり。
作った野菜は、畑の脇に作った直売所で販売していたのですが、去年の暮れには、メルカリでも出品してみることにしました。
ネット販売すれば、直売所で売る値段に、当然ながら配送手数料が付くわけです。
単価の安い野菜ですから、ほぼその配送料は、野菜の実単価以上というになりますね。
直売所で300円程度のものが、メルカリに出品すれば800円ということになります。
近くのスーパーに行っても、そんなに高い野菜はありません。
こりゃ売れないだろうと思っていたのですが、蓋を開けてみたら、出品した野菜は見事に完売。
あっという間に売り切れてしまいました。
開いた口がポカンでした。
まず、頭に浮かんだのは、新型コロナの影響。
スーパーに買い物に行くリスクも恐れ始めた、東京の奥様たちが買ってくれたのだろうという推測です。
一過性のものかとも思いました。
しかし、メルカリのやり取りで、購入者のメッセージを見ると、意外と多かった反応が、出品した野菜のタイトルに入れた「無農薬」という一語についてでした。
欲を言えば、「自然農法」「有機野菜」くらいは書きたかったところですが、厳密に言えば、我が畑の農法はこれには当たりません。
一応、野菜ソムリエの資格は取っているので、そこは正確に書けるギリギリが「無農薬」まで。
これで、プロの農家の野菜とは、差別化を図ろうとしたわけです。
F1のタネも使わず、固定種の種を使い、無農薬、無肥料で野菜を作ると、どうしても野菜の個体は綺麗な大きさに揃いません。
形もサイズも凸凹。早生晩生もまたバラバラです。
なかなか、主婦が見慣れている、お行儀のいいスーパーの野菜のようにはいきませんので、ここは腹を括って、そのまんまを写真に撮って出品したのですが、ここでまた面白い現象が起きます。
比較的綺麗に揃って並べられたパッケージよりも、明らかに、不揃いのものをギュウギュウに詰めたパッケージの方から売れていくんですね。
どうやら「無農薬野菜」を購入する人は、それで作った野菜がどういう形状になるかはご存知のようだ。
つまり、安全で美味しい野菜なら、多少ブスで、しかも値段が高くついても、買ってくれる人は潜在的にいるらしいぞということがわかってきました。
さあ、こうなると、今年の野菜作りが俄然楽しみになってきました。
そして、再び我が脳裏に蘇ってきたのが、福岡正信氏の自然農法。
彼のような肝の座った自然農法は、我が畑の環境ではなかなか難しいものがありますが、それでも、そこにどれだけ近づけるかが、メルカリでの野菜の売り上げに大きく影響してくるぞとふみました。
福岡氏は、農業者でもありながら哲学者でもあります。
彼の著作は、4冊ほど持っていますが、どの本も400頁を越す力作。
その深淵な無為自然の摂理に基づく農業理論は、通常の農業指南書とは、明らかに一線を画すものです。
「わら一本の革命」を読んで以来、なかなか2冊目が開けませんでしたが、今回は「無III 自然農法」をチョイス。
当然、本著の前には「I」「II」があるのですが、こちらはかなり哲学色が強い内容なので、今年いっぱい自然農法の実践で揉まれた後で、改めて拝読させてもらうことにいたします。

「自然は分解してみてはならない。分解した瞬間から部分はもう部分ではなく、全体はもう全体で はない。部分を寄せ集めたものは全部であり、全体とは異なる。」

「農業の本質は、儲ける、儲けないなどということではない。その土地をどんなふうに生かすかが、 最大の問題となる。自然の力を最大限に発揮せしめて上作をすることに目標をおく。」

うーん、やはりこの人のいうことは、どうにもいちいちカッコイイ。
百姓初心者としては、シビレマス。
どこまで「無為自然」に近づけるかは分かりませんが、今年も頑張って野菜を作りたいと思います。

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