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ヘレディタリー 継承 2008年・アメリカ

ヘレディタリー 継承

しばらく、ホラー映画を見ていませんでした。
本作は、アリ・アスター監督の長編デビュー作。
順番は逆になりましたが、二作目の「ミッドサマー」は、一昨年映画館で見ています。
その頃から、このデビュー作の評判は耳に入ってきておりましたね。
「ミッドサマー」もそうでしたが、この監督のホラー演出は、ジックリジワジワ型。
ショック演出は、サプライズというよりは、生理的嫌悪感の急所を責め立ててくるので、「いやーな感じ」がボディブローのように効いてきます。
ラストのカタルシスのための伏線が、本編中には、丁寧にばら撒かれていきますので、段々と目が離せなくなってきます。

主演の母親役アニー・グラハムを演じたトニー・コレットは大熱演でした。
ホラー映画のヒロインは、ただ絶叫していればいいというものではないとを教えてくれます。
ヒロインが真相に近づく過程が、周囲から見れば、ただ彼女が崩壊していく過程に見えてしまうというのが、この脚本のミソ。
彼女の家族は、一人一人死んでいき、最後に残ったのは・・

このアリ・アスター監督の二本もそうですが、ジョーダン・ピール監督の「ゲット・アウト」や「アス」などのホラー映画でも率直に感じたこと。
とにかく、脚本が見事に練られていて驚きますね。
そのおかげで、ヒッチコック作品にも通じるようなミステリーの味わいもあり、いたずらにショック演出のビジュアルだけに頼らない「話し運び」が、作品のクゥオリティを確実にあげています。
今のアメリカでは、これくらい脚本がしっかりしていないと、ホラー映画も撮らせてもらえないのかもしれません。

ただ、個人的には、あのラストのラストは、いかにもアメリカ映画としての、無難な「落とし所」だったような気がしています。
純粋なホラー映画としてなら、あの前にも、エンド・マークのタイミングは、いくつもあったように思います。
脚本に気合を入れすぎてしまうと、書き手としては、実はどうしても「答え」を用意したくなるものです。
出来すぎた脚本の陥る罠がこれです。

本当に怖い映画には、「答え」は入りません。

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