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アス 2019年アメリカ

去年公開のスリラー映画。

監督は、ジョーダン・ピール。

前作「ゲット・アウト」で、人種差別問題をスリラーに見事に落とし込んだ手腕でアカデミー脚本賞を受賞した黒人監督です。

その監督が本作ではさらに幅を広げて、世界中の先進国で社会問題になっている貧富格差問題を、ドッペルゲンガー・ネタで料理した社会派スリラーです。

ミドル・リッチの黒人四人家族の前に、ある夜突然現れた「自分たち」。

彼らは、赤いツナギを着て、ハサミを片手に家族に襲いかかってきます。

脚本賞をとった監督だけあって、スリラーとしては、かなり厚みのある内容。

物語はとんでもない展開になり、そして驚くべきラスト。

満足しましたが、こちらとしては、見終わってからが大変でした。



「はて、あれは一体何だったんだ?」



明らかに含みのある描写を理解しきれずに、YouTubeの解説動画を、片っ端から見まくって解答探しをしてしまいました。

その合計は、本編時間以上になっていたかもしれません。

もちろん、そんなに深掘り理解をしなくても、スリラー映画としてだけでも十分ゾワゾワさせる上手な演出でしたので、「あー怖かった」だけでもよかったのかもしれませんが、あそこまで宿題を出されてしまいますと、やはりホラー映画マニアとしてはそのままには出来ず。

映画を観終わって、残った疑問は早めに解決しておかないと寝付きがよくない。

この人なかなか罪な監督です。



ホラー映画は伊達に本数を見ているわけではありませんので、解説されるまでもなく、もちろん僕にも理解できる演出は散見。

ハサミを振り上げて、背後から襲うシーンのバックに流れるキンキンしたBGMは、明らかに「サイコ」。

ドッペルゲンガー組4人が、全員左手にしていたグローブは、「エルム街の悪夢」のフレディですね。

そして、4人全員が来ていたツナギの赤い色は、やはりマイケル・ジャクソンの「スリラー」を意識していると思われます。

そういえば、息子の名前はジェイソンでしたから、これは「13日の金曜日」。

この監督、ちゃんと過去のスリラー映画は、きちんと勉強しているご様子。

町山智浩氏のインタビューでは、園子温監督の「自殺サークル」も参考にしたと言ってました。



スリラーの巨匠といえば、なんといってもアルフレッド・ヒッチコック。

彼は、幼少の頃に、しつけの厳しい父親に、実際の監獄に入れられた経験がトラウマになって、それが後の恐怖演出の原点になったと言っています。

本作のジョーダン・ピール監督が、この映画のアイデアを思いついたのも、彼の幼い頃のトラウマが原因。

この監督は、白人と黒人のハーフです。

両親はそこそこ裕福で、黒人ながらも、高級住宅地に住める家庭環境。

地下鉄で通学していたらしいのですが、当時のニューヨークの地下鉄には、多くの貧困黒人家族が、ホームレスとして住みついていたそうです。

その中に、自分とそっくりの黒人少年がいて、その彼が、ピール少年を見てニヤリと笑う。

これが、彼の少年期のトラウマになっていたそうです。

自分は、何不自由ない特権階級の家庭だが、世の中にはそれを嫉妬と羨望の目で見つめている貧困層がある。

いつかそれは、彼らに対する怒りとなって、襲いかかってくるのではないか。

この恐怖が、まずこの映画のアイデアの原点にあったということのようです。



ある夜、突然「自分たち」の分身が現れて、自分たちに襲いかかってくるという恐怖。

当然、家族を守るために、彼らは必死に戦います。

奴らは一体何者で、何が目的なのか。

自分たちと同じ顔をした得体の知れないもの達に襲われるという恐怖だけでも、見事なスリラーなのですが、もちろんこの監督の脚本は、その答えまで周到に用意しています。

もちろんその伏線も、随所に張り巡らした上でちゃんと回収して、ロジックにとりあえずの問題はなし。

さらに最後のとんでもないどんでん返し。

並のスリラーではないぞというところを存分に見せつけてくれました。

全米で大ヒットしたのも、うなづけます。



ただ、個人的には、そこまできちんと説明してくれなくても、よかったのではという思いも少々。

スリラー映画の名作の中には、この「答え」を用意しないものも沢山あります。

得体の知れないものを、得体のしれないまま終わらせるという理不尽さも、ある意味では立派に恐怖演出。

しっかりした脚本で説明仕切ってしまうことで、逆にその恐怖自体は薄めることになってしまうこともある気がします。

ただ怖いというだけでは終わらせたくない監督の意図は十分理解できますが、スリラー映画としてそれが功を奏したかどうかはやや微妙。

スリラー映画なら、恐怖だけに徹してなんぼ。

スリラー映画に、「社会派」という冠は、果たして必要か、そうでないか。

これは、意見の分かれるところかもしれません。





初見ではわからずにモヤモヤが残ったので、映画鑑賞後、確認した疑問だけ書き出しておきます。

これから見る方は、ご参考に。



旧約聖書エレミアの書11章11節ってなんだ?



ドッペルゲンガーたちが、手を繋いで長い列を作る意味は?



あそこに、なんで無数の兎がいる?



母と息子が、ラップのリズムを刻むシーンの意味は?



ドッペルゲンガーたちの武器は、なんで銃ではなくて、ハサミ?



最後はなんでメキシコ?



これみんな一応答えはあるんですが、もちろん分からなくても、こちらは映画評論家になるわけではなし。

こんなこと無視して、「あー怖かった」だけでも、何の問題もなし。

考えるのは、今夜ではなく、「アス」でケッコウということで。





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