宇宙大怪獣ギララ 1967年松竹
少年時代は、京浜東北線の与野駅前に住んでいたので、隣のビッグ・シティ大宮にはよく遊びにいきました。
大宮には、与野にはないデパートが、当時で4店舗もありました。
中央デパート、大宮ステーションデパート、西武デパート、高島屋ですね。
お目当ては、屋上遊戯場とゲームセンターでしたが、この中では、1番の老舗中央デパートの3階にあったおもちゃ売り場が結構好きでした。
ここは、どのデパートよりも、マルサンの怪獣ソフビ人形が充実していたんですね。
子供の小遣いでは、そう何体も買えませんでしたが、眺めているだけでも結構楽しめました。
当時僕が持っていたソフビは、ペギラとレッドキングでしたが、ここには他では見たことのない本作登場のギララのソフビがあったのをよく覚えています。
この映画を製作したのは、松竹です。
当時は、タケダ・アワーで放送していたウルトラ・シリーズが大ヒットしていて、子供たちを中心に怪獣特撮映画が空前の大ブーム。
老舗東宝のゴジラ・シリーズは年2本の割合で製作されていましたし、この2年前からは、大映がガメラ・シリーズで参戦。
「大魔神」や「妖怪シリーズ」との併映で大ヒットさせていました。
乗り遅れてはなるまいと日活が「大巨獣ガッパ」を制作したのは、先日本ブログで紹介いたしましたが、松竹もついに本作をひっさけで怪獣映画に名乗りを上げたというわけです。
当時の封切り公開を見たのか、後の名画座興行で見たのかは覚えていませんでしたが、とにかく特撮映画であれば片っぱしから見まくっていた怪獣オタクでしたから、当時の怪獣少年としては、映画会社は関係なし。
本作も、映画館のスクリーンで見た記憶はハッキリあります。
しかし、なんと言っても小津安二郎や山田洋次監督を輩出してきた「人情喜劇」の松竹です。
怪獣映画となると、少々勝手が違うようでした。
やはりベースとなる、映画の「文化」が違ったということでしょう。
まず、主題歌にその名を連ねていたのは、倍賞千恵子でした。
(今回気が付きました。)
昭和歌謡の歌い手としての彼女を否定するものではありませんが、いずみたくが作るこの映画の主題歌は、怪獣映画の主題歌としては、完全に浮いておりました。
リーザを演じたペギー・ニールの日本語の吹き替えも、ゴジラ・シリーズでのニック・アダムスの日本語吹き替えよりは明らかにこなれていない印象でした。どこか不自然。
何よりも怪獣のスーツアクトが、かなり大芝居な印象。
ゴジラ映画の中島春雄のようなスマートさはなかったように思います。
要するに、アクターの芝居がやや自意識過剰。
ハイスピード撮影も甘いので、ギララ自体はゴジラやガメラよりも重いのに、まるで重量感が伝わってきません。
鳴き声も、明らかに人間の声の合成で、怪獣感がなくイマイチ。
科学考証も、ウルトラシリーズでは最悪だった「キャプテン・ウルトラ」レベル。
背景には、たびたび松竹のシンボルでもある富士山が登場しますが、どこかほのぼのとしてしまってこれもいけない。
ギララは、映画では結構あちこちを荒らし回りますが、どこの街にもスポンサーの渡辺製菓のビルがあってニンマリ。この会社は、後にカネボウと合併しています。
同時期にアメリカでは、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」が公開されているわけですが、あちらは今見直してもすごいと思いますが、こちらはアラばかり目立ってしまって、SFとしてのクオリティの差は歴然。
本作は、予算はそれなりにかけたのでしょうが、採算は取れなかったのでしょう。
松竹では、この映画の後で、あのドル箱「男はつらいよ」シリーズが登場しますので、怪獣映画は本作のみで撤退。
再び人情喜劇路線を邁進します。
・・と思ったら、本作から40年以上たった2008年に、ギララが登場する続編が作られていました。
「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発」
ビートたけしも出演。
これも録画していたようですので、いつか拝見致しましょう。。
そうそう、そういえば本作にはチラリとワンシーンだけ、仮面ライダーの本郷猛役の藤岡弘も登場していました。
色々とディスってしまいましたが、松竹唯一の怪獣映画という意味においては、貴重な作品。
それなりに楽しみ方はあると思います。
確か、寅さんシリーズの冒頭の夢のシーンで、ギララが登場する作品がありましたよね。
結論として、一言だけ。
やはり餅は餅屋ですね。慣れないことはやるべきではない。
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