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キートンの大列車強盗 1926年アメリカ

先日見た映画「クワイエット・プレイス」の監督が、たくさんのサイレント映画を見たことが、映画作りの参考になったと言っていました。

かの巨匠・黒澤明監督も、少年時代に見たサイレント映画は、自らの映画づくりに影響を与えていると言っています。。

黒澤監督の弁。

「自分が映画作りをする時に、一度もしこの 作品がサイレントだったらと考えると、言葉 だけでストーリーを進め場面を作るのと違い、 力を込めた絵作りのアイデアが湧いてくる」

なるほど。

僕らの世代では、もうほとんど馴染みのないサイレント映画ですが、巨匠たちの映画作りには、しっかりと受け継がれていたというわけです。



この映画が作られたのが、1926年。

トーキー映画が産声を上げたのは、1929年のことですから、時代はサイレント映画の隆盛期。

バスター・キートンの映画は、おそらく何本かは見ています。

確か、1970年代に彼の作品のリバイバル上映がありました。

作品の名前は覚えていませんが、転がってくる岩を避けながら、山道を登っていったり、ビルから飛び降りてあっちこっちに引っかかりながら着地するといった命がけのギャグや、倒れてくる家の壁のドアの部分に立っていたおかげで助かるギャグなどは、今でも鮮烈に覚えています。

この「キートンの大列車追跡」は、今回が初見でした。



どうしても、コメディアンとしては、チャップリンの影に隠れがちなバスター・キートンですが、この人は、この映画を見てもハッキリと分かりますが、完全にアクション俳優と言っていいと思います。

とにかく、ギャグの一つ一つに体を張っている。

どんな些細なギャグひとつとっても、ほとんど命がけです。

それを、あの能面のような無表情でこなすから極上のギャグになるだけで、あれをそのままアクション映画にしたら、「ダイ・ハード」級の作品になるんじゃなかろうか。

ジャッキー・チェンの作品には、色濃くこの人の影響があることは歴然。

蒸気機関車のアクション・シーンは、完全に「バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3」につながっています。

特に本作品は、それに加えてスペクタクルの要素もふんだん。

なにせ、蒸気機関車一台を、橋ごと破壊して大破させてしまうのですから、やっていることは「戦場にかける橋」のクライマックスと一緒。

完全にコメディ映画の水準を超えています。

南北戦争時代の話ですが、南軍と北軍のモブシーンも、かなりの迫力。

おそらく相当な予算をつぎ込まれているはず。

この当時、絶好調のバスター・キートンだからこそ、作れた映画ですね。

ちょっと、コメディ映画としてだけ紹介するのでは、もったいなさすぎるような作品です。



さて、コメディアンとしてのバスター・キートンですが、映画を見ていて、この人の影響を受けたと思われるコメディアンが二人浮かびました。

一人は、ウッディ・アレン。

この人も、どちらかと言えば「笑わない芸風」で、いつもしかめっ面をしている印象ですが、どこかしらキートンを彷彿させます。

もう一人が、先日Covid-19で亡くなったばかりの志村けん。

彼のコントにおける「所作」が、キートンの芸風に大いに通じるところを、随所に発見できます。

自宅に大量の映像資料を揃えて、コントの研究をしていたという志村さんですから、おそらくその中には、相当数のバスター・キートンの映像もあったのだと想像します。

今にして思えば、「8時だよ!全員集合」の体を張ったコントの数々には、たぶんにバスター・キートンの影響があったように思われます。



キートンの映画には、チャップリンの映画のような哀感やペーソスは、確かにありませんが、それでも この時代のスラップスティック・コメディを侮るなかれ。



百姓をやっているせいかもしれませんが、CGもない特撮技術も未熟な この時代の、スペクタクルな命がけのアナログ・ギャグには、農薬も肥料も使わない自然農法で作る、本物の野菜の味わいがあります。



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