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乱れる 1964年東宝

乱れる 

黒澤明、溝口健二、小津安二郎と肩を並べる、日本映画界のビッグ4と謳われるのが成瀬巳喜男監督。
彼の代表作と言えば、やはり「浮雲」でした。
学生時代に、どこかの名画座で見た記憶ですが、この映画には、シビれました。
他の三巨匠とは、全く違うテイストで、女性の繊細な心理を巧みに掬い上げる演出は、高峰秀子という類い稀なる才能を得て、世界に誇る日本映画の傑作に昇華させてくれました。
このコンビによる作品は、その後も何本か作られていきましたが、本作もその一本。
いつかは見なければいけないと思っていた作品でした。

本作の高峰秀子の相手役は、「若大将シリーズ」で、人気絶頂だった加山雄三。
若大将のキャラは活かしつつも、その彼から、これだけ繊細な演技を引き出した、成瀬監督の功績は大きいと思います。
本作は、1964年製作の映画ですが、加山雄三は、1965年にも、巨匠黒澤明監督の「赤ひげ」で、若大将のイメージを払拭する役にトライ。
役者としての幅を広げることに成功しています。
おそらくは、彼自身も、俳優として「若大将」のイメージに、染まってしまうことを潔しとしない想いがあったのだと思います。

しかし、やはり本作は、高峰秀子の映画でしたね。
本作のための、オリジナル脚本を手掛けたのは、彼女の夫である松山善三でしたから、それも無理からぬ話。
本作には、この当時の世相が巧みに反映されています。
スーパーが地方都市に進出して、町の商店街の経営を圧迫しているという当時の状況が、本作のストーリー展開には、上手に組み込まれています。
高峰秀子演じる礼子は、スーパーの進出に頭を抱えながら、そんな町の商店を一人で切り盛りしています。
夫はすでに戦死しており、同居しているのは、その母と義弟。
この義弟・幸司を演じるのが、加山雄三です。
大学を出て、東京の会社に就職した幸司ですが、早々に退職して、実家に戻ってきてしまいます。
幸司は、たった半年の結婚生活の後、戦後のバラックから、店を大きくしていき、姉二人を含む家族の生活を支えてきた玲子の背中をずつと見つめ続けていました。
そして、いつしか、この11歳離れた義姉を密かに愛するようになっていたんですね。

この映画が作られた当時の我が家も、実は商店でした。
東京都大田区の、京浜急行の駅「平和島」の駅前商店街にある本屋「たまや」が、我が実家でした。
本作で、礼子が切り盛りする店は酒屋でしたが、そのセットに登場する黒電話も、レジスターも、カレンダーも、看板も、あの当時を彷彿させる、見覚えのあるものばかり。
僕が住んでいた当時の平和島には、まだスーパーはありませんでしたが、商店街の風情や、家の中の雰囲気は、思い当たること満載で楽しませてもらいました。
高峰秀子が演じていたような商店のオバサンたちは、隣のおもちゃ屋にも、そのまた隣の駄菓子屋にも普通にいました。
時々店を手伝いに来ていた叔母(当然当時はまだ若い)たちの写真が残っていますが、ちょうどあんな感じのファッションでしたね。
そんな時代のリアルな風景の中に同化しながらも、凛とした美しさを放つ高峰秀子の、女優としての存在感は圧倒的です。
彼女の義理の妹を演じた草笛光子や白川由美も、高峰秀子に負けないくらいの美人女優ではありますが、彼女たちの場合は、どうしてもそれゆえに浮き上がってしまいます。
まず美人女優としてのオーラの方が優ってしまうんですね。
しかし、この高峰秀子という女優の、稀有なところは、このリアリズムとオーラという相反する二つを、無理なく飲み込んで、自然体で成立させてしまうところにあります。
つまり、普通の街の商店街のおかみさんの佇まいと、美人女優としてのオーラを、違和感なく役の中でブレンドして表現できるのが、この女優のすごいところ。
これが、日本映画の巨匠たちに高峰秀子という女優が重宝された理由だと思います。
加山雄三も明らかに、どこか浮世離れした映画の中にしかいないようなイケメン感が漂いますが、そんな彼のキャラさえも包み込んで、この義理の姉弟同士の悲恋を、メロドラマとして成立させてしまうのは、ひとえに高峰秀子の存在感の賜物だと思います。
成瀬巳喜男監督は、揺れ動く主人公の女心の襞を、丁寧に丁寧に、一つずつ積み上げていきます。
そして、ラスト。
銀山温泉の宿から飛び出して行った高峰秀子のアップで、映画は幕を閉じます。
セリフにはならない凝縮された感情を、表情ひとつで表現する高峰秀子の面目躍如とも言える神わざ。
映画の全ては、このラスト・カットのためにあったと納得させられます。

またしても、この人にはやられてしまいました。

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