見出し画像

キングコングの逆襲 1967年東宝

キングコングの逆襲

川越市立図書館に行って、この本を借りてきました。

第一次怪獣ブームのど真ん中育ちの怪獣オタクですので、「本多猪四郎」の名前は、否応なく脳裏に焼き付いています。
おそらく、僕の世代の男子なら、誰もが、黒澤明よりも、山田洋次よりも先に覚えた監督の名前は、この人だったはず。
「ホンダイシロウ」と呼べるようになったのはずっと後のことで、当時は「ホンダイノシロウ」だとばかり思っていましたが。
とにかく、この人が円谷英二特撮監督とタッグを組んで、世に送り出した空想特撮映画は、封切られたものは、ほとんど見ていたつもりでしたが、この本を眺めながら1作だけ見逃しているものがあったのを発見。
それが、本作でした。
「キングコング対ゴジラ」が作られたのは1962年でしたが、この映画を作るために、「キングコング」の権利を持っている「RKOラジオ」と交わした契約期間が5年。
せっかく、高い使用権料を払ったのだから、急遽もう一本作ろうということになったようです。
主演は、日本側代表は、東宝特撮最多主演を誇る宝田明。
アメリカ側は、ローズ・リーズンとリンダ・ミラー。
お二人とも、この映画でしか拝見していない俳優ですね。
このローズ・リーズンという人が、僕の目から見ると、007シリーズのショーン・コネリーに見えてしょうがなかった。


映画の「立て付け」も、かなり第一作目の「ドクター・ノオ」を意識しているように思えました。
そういえば、本作で登場するマッド・サイエンティストが「ドクター・フー」。
演じているのは、お馴染みの天本英世。
後の「仮面ライダー」の死神博士です。
「007は二度死ぬ」で、ボンド・ガールを演じた浜美枝も出ています。
本作では、ゴジラは登場しませんが、キングコング決闘する相手としてメカニコングが登場。
その他、ゴロザウルスや、大ウミヘビが、コングと死闘を繰り広げる展開です。

本多猪四郎という監督は、黒澤明同様、国内よりも海外での評価が高い監督。
ゴジラというドル箱スターを前面に押し出して儲けたかった東宝が、あくまでゴジラは、東宝と、本多猪四郎と円谷英二のプロジェクト・チームが共同で作り出したヒットアイコンという姿勢を貫きたかったから、本多監督の作家性はあえて黙殺したとのこと。
これだけのヒット作を連発して東宝に貢献したにもかかわらず、本多猪四郎が監督としては、ビッグ・ネームになれなかったのは、東宝が、彼をあくまでも社員監督として指名しており、黒澤明のように、スター監督扱いをしなかったのが原因。
そしてまた、本多猪四郎自身も控えめの性格で、これだけの仕事をしたにもかかわらず、世間からの職人監督としての評価を甘んじて受けて、何も主張しなかったからだと、映画評論家の町山智浩氏が、ツバを飛ばして熱弁していました。

なるほど、なるほど。
彼の作品は、ほとんどの映画を子供の頃に見ていますので、当たり前すぎて、その凄さには気がつかないまま来ていますが、言われてみれば、彼の演出による特撮映画は、確かに「子供心」にも、どこかしっくり来ているということは感じていました。
特撮部分と、ドラマ部分の融合に違和感がないんですね。
僕が初めてみたゴジラ映画は、実は本多猪四郎が監督していない「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」という作品でしたが、確かに本多作品とは少々テイストが違っていたということが、今ならわかる気がします。

東宝特撮シリーズでは、本多猪四郎と円谷英二の二人が共同監督をしているというイメージがありますが、実際はかなりの部分をコントロールしていたのが本多監督とのこと。
円谷英二は、実際は特撮専門のカメラマン的役回りで、特撮シーンと一般シーンとのカット割や編集は、ほぼすべて本多監督が一人で行っていたそうです。
つまり、映画全体のイメージと構成は、全てが本多猪四郎監督の頭の中にあったということ。
社員監督とはいえ、映画の最終編集権は、すべて彼が持っていたようです。
スチール写真からも分かりますが、その演出において、俳優への演技指導は、すべて彼が実際に演じてみせたと言いますし、公開に至るまでの映画のかなりの部分のディテールは、彼がコントロールしていたと言いますから、確かに彼の映画監督としての作家性はもっと評価されるべきなのかもしれません。


それだけの実力を持ちながらも、この監督は、会社側からの要求に対して、一切の文句は言わなかったそうです。
あくまでも、職人監督として、与えられた予算と状況の中で、常に最善のものを作るというのが一貫した姿勢。
戦時中、何度も兵役に取られ、同期の監督たちよりもずっと遅れてデビューした遅咲きの桜が彼。
ゆえに、ただ映画が撮れるということに無常の喜びを見出し、それ以外は何も求めなかったが本多猪四郎監督です。

監督の奥様のインタビューが、本に書いてありました。
「プロポーズされた時、結婚するのはいいけど、貧乏はいやと言ったんです。」
本多監督は、それに対して「絶対させない。」と言ったそうですが、その約束だけは、果たしてくれなかったと、奥様は嬉しそうに語っていましたね。

ハリウッドの名だたる映画人たちが、僕らが子供の頃に熱狂したように、本多猪四郎という監督を、黒澤明、溝口健二、小津安二郎と並ぶ日本映画界のビッグネームとして、称えています。
しかし、そんな地位や名声には目もくれずに、ただひたすら自分の大好きな「映画づくり」をすることだけに喜びと幸せを感じてそれを全うしたのが彼の人生。
この無冠の帝王に、怪獣オタクだったかつての少年は、もちろん今でも賛辞を惜しみませんが、彼は空の上でこう言っているかもしれません。

「いいですよ。映画を楽しんでもらえれば。そんなこと言われると汗が出ます。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?