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新日本の路地裏 佐藤秀明

新日本の路地裏 佐藤秀明

小学校2年までを過ごしたのが、東京大田区大森の京浜急行線平和島駅あたりです。
駅の改札を出て、国道1号線を渡った商店街の中の本屋が我が家でした。
子供の頃は、その商店街を含む、3〜4ブロックが「世界」の全てのようなもの。
特に言われていたわけではなかったけれど、環七を超えて、その向こうのブロックにまで、「あそび」の範囲を広げることは滅多にありませんでした。
それでも、神社の境内には、「紙芝居」もやってきましたし、三原通りには、十日にいっぺん縁日がありましたし、あの頃は、ちょっと歩けばすぐそこに海岸線があって、佃煮工場の匂いを嗅ぎながら、東京湾も眺められました。
メンコで遊ぶちょっとした広場も、女子の遊びの定番だったゴムダン・チームとスペースを共有できましたし、缶蹴りもできたし、かけっこ競争をするコースも、しっかり確保できたました。
隣が玩具屋だったので、欲しいものが買えるというわけではありませんでしたが、店先で目の保養も出来ました。
遊び盛りの小学校低学年児童でしたが、それ以上遊び場所を広げたいとは思いませんでした。

後に、我が一家は埼玉県に引っ越すことになるのですが、それから時が経ち、大学生になってから、ちょっとノスタルジーに駆られて、この平和島界隈にフラリと遊びに行ったことがあります。
そこで、愕然としてのは、その寸法感が、当時の印象とはまるで違ったんですね。
なんだか、小人の国へやってきたガリバーのような感覚に陥りました。
駅前商店街だとばかり思っていた当時の住まいのある通りは、完全に路地でした。
そして、環七と第一京浜で仕切られた、当時遊び回ったエリアは、縁日が並んだ三原通り以外は、ほぼ全て路地。
自分は、このダウンタウンの路地の文化の中で育ったんだなと、その時初めて気がついたわけです。

その後、一人旅の「知らない町歩き」は、休日の欠かせない道楽になっていきますが、やはりお目当ては、琴線にグッと触れてくる、魅力的な路地裏探し。
今では、Google Map なんていう便利なアプリがありますが、基本は地図情報一切なしで、好奇心だけに任せて、無目的にブラブラ歩くのが一番心地よろしい。
特に「○○小路」やら「遊歩道」なんていう看板があると、必ず足を踏み入れるクセが付いてしまいました。

今住んでいる地元川越も、城下町の面影を残す界隈は、かなり魅力的な路地が多いのですが、「小江戸川越」として、やや観光地ナイズされすぎました。
やはり、個人的には、小洒落ていない、生活感丸出しの野生味あふれる路地裏が好みなんですね。
商店街育ちでしたから、狭い空間の店先いっぱいに商品をせり出した商店がひしめく路地や、看板作りのチープな個人商店がズラリと軒を並べているような風景は、今でも好きです。
都内ではだんだんと減ってきましたが、上野のアメ横を一本入った路地や、秋葉原電気街の片隅に、まだそんな猥雑で活気のある路地が残っています。



「美味しい」路地だらけで、たまらなかった町が、広島県の尾道市です。
あそこは、瀬戸内海に向かって、町全体が斜面になっているため、町全体が坂道と階段だらけ。到底車など、入っていけないところばかりです。
僕が、町を散策していた時も、宅配のオニイサンは、荷物を担いで走り回っていましたね。
そして、どの路地からも、その先に見える景色はオーシャン・ビュウ。
路地好きには、シビれる風景ばかりでした。
あり町なら、いつ行っても、間違いなく一日中歩いていられます。



あちらこちらを歩き回りましたが、ちょっとした高級住宅街を歩くと、整備されたような小径の入口に「私道につき立入禁止」なんていう、無粋な看板が立っていて興醒めすることがあります。
魅惑的な路地では、道を挟んだ向かい同士が、目が合えば、気軽に声をかけられるような親密感が必須。
小津安二郎の映画のように、路地を歩く人が、家人に向って、「やあ、今日もお暑うなりますで」なんて、気軽に声をかけられるアットホームな空気感が、あってこその路地文化です。
散歩する人が、路地の縁台将棋をチラリと覗いて、ふと足をとめ観戦する。
ふと見上げれば、その家の主婦が、忙しそうな顔で、窓枠に干した布団をパンパンと叩いている。
その脇を「銀玉鉄砲」を持った子供たちが、キャッキャと声をあげて、走り回る。
都会からは、もはや一掃された感のある世界ですが、そんな文化の中で醸成されていく感性というものもあるような気がします。

(この一枚だけ、本書のものではありません)

本書は、そんな日本各地から選りすぐった魅惑の路地裏写真が満載の一冊。
路地裏好きには、なかなか楽しめる一冊でした。
風景が主人公の写真集ですから、人物はあまり写りこんでいませんでしたが、基本的に路地裏を魅力的にするのは、人間の気配と生活臭。
物静かな写真ではありましたが、どの一枚からも、そこにいるべき人たちのセリフの吹き出しが見えるような気がしました。





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