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虚構を信じた僕達が君を救いにきたんだ。「GRIDMAN_UNIVERSE」の魅力を語り尽くす。

ネタが尽きたので恒例の寒い挨拶はしません。
そんなこと考える今の私に余裕なんて一切ないので、早々と本筋に入りたい所ですが、皆さんは入場者特典なにが当たりましたかね。
私は「内海&ちせ」だったのでお目当ての「六花&夢芽」が貰えず死ぬ程悔しかったので、再び映画館に足を運び2回目の入場者特典で「六花&夢芽」の色紙を手に入れました。

現状公開されてる色紙は3種類ですが、公式からは4種類目の色紙が公開されてないので「新条アカネ&2台目&ムジナ」の非核三原則に相当するムチムチな色紙だと勝手に妄想してました。その3人が色紙に収まるのか怪しいですが、今回魅力を語り尽くすアニメ映画はコチラです。

「グリッドマン ユニバース」
GRIDMAN_UNIVERSE

いやー語り尽くしたい承認欲求には抗えませんでした。しかし、一回見ただけでは最大限の魅力を理解できるとは思えないし、何度も視聴し深く考え私なりに言語化出来れば作品への情熱と魅力が多くの人に伝わりやすくなるのではないかと思い、投稿するのに時間がかかってしまいました。

既に本作の解説や考察、批評を公開してる人も多いですが、私は「SSSS.GRIDMAN」「SSSS.DYNAZENON」を語った時の様なテンションと着眼点で語るのみなので、解説や考察と言うよりも私的解釈に過ぎないので、それでも良ければ私のワガママにお付き合いしてください。
※本編のネタバレを交えて話すので、未視聴勢はご退出お願いします。

これまでの響裕太を振り返る

「SSSS.GRIDMAN」や「SSSS.DYNAZENON」でも最初は「響裕太」の深掘りから作品の魅力と解釈を語り始めて来た訳ですが「GRIDMAN_UNIVERSE」も同様、一番最初に「響裕太」について触れる必要があると私は思います。
「SSSS.GRIDMAN」で描かれた響裕太は「自分を響裕太と思い込んでいるグリッドマン」という大胆なミスリードだったので本編で描かれた響裕太(グリッドマン)にアイデンティティを求めるのはある意味違うのかなと思っています。
黒幕である「新条アカネ」の方がよっぽど主人公としての魅力が描かれていたので、真の主人公は「新条アカネ」であり「SSSS.GRIDMAN」は「新条アカネを救い出す物語」という解釈に私は落ち着きました。
そして本編の最終話では、グリッドマンが響裕太に憑依する前から新条アカネではなく「宝多六花」に好意を寄せていることを示唆していたので、正真正銘の響裕太を描くための重要な要素が「六花への告白」というのも「SSSS.GRIDMAN」から残された大事なポイントなのです。

ここから先の前提として
・響裕太は仕方なく主人公としての魅力が削がれた。
・響裕太は宝多六花が好きであること。

この2つが今回の「GRIDMAN_UNIVERSE」「本来の響裕太」を描く上での大事な要素であることを前提に話を進めていきます。

虚構(フィクション)と
現実(リアリティ)

あの頃の記憶が一切ない響裕太には我々視聴者と同じ目線が与えられています。それは虚構(フィクション)を信じられるかどうか。
学園祭でグリッドマンを題材とした演劇の為に六花と内海が制作した脚本への感想を求められた響裕太は、その物語の中心的人物だったのにも関わらず奇抜な話と表現しました。

そして、脚本を担当している六花が一番伝えたい「新条アカネ」に対しての熱意を感じ取れています。
個人的には「SSSS.GRIDMAN」の魅力を語った際に「新条アカネ」を軸に話していたので、グリッドマンを題材とした作品を作る過程で六花が新条アカネ(虚構)に拘るのは私自身の解釈と一致していました。
要するに「SSSS.GRIDMAN」で制作陣が一番拘っていたのは「新条アカネ」と「六花」の人間ドラマなんですよ。
しかし、響裕太が「奇抜な話」と表現したように「新条アカネ」の存在意義を受け入れてくる人物は数少ない。

設定を盛りまくられた美少女で尚且つ、怪獣好きという謎の一面。
本当は誰よりも繊細で孤独なのに、神様の力でツツジ台の住民達に偽りの自分を受け入れさせていましたが、その力が及ばない以上、客観的に見ていた視聴者と同じ感想になるのも無理はないんですよね。

「ここまで設定を盛り込んで何を描きたいのか」

という疑問は新条アカネとグリッドマンの存在意義を見出してない方にとってはかなり難しい様に感じたと思うんですよね。特に終盤からの展開は虚構(フィクション)だからこそ綺麗に片付いています。

割と強引に出てきたフィクサービーム。
これはグリッドマンの存在意義を象徴する「SSSS.」
=「Special Signature to Save a Soul」
=「魂を救うための特別なサイン」
そのものなので
「君(新条アカネ)を退屈から救いにきたんだ」
という「SSSS.GRIDMAN」を描く上で必要不可欠な要素であると再認識出来ます。

新条アカネの心を癒し、現実へ帰還することを応援した「SSSS.」のサインなので現実味(リアリティ)のない展開が罷り通り現実世界で目覚める新条アカネは実写映像で描かれると言う、虚構(フィクション)と現実(リアリティ)の差別化が上手く取れているので終盤からの展開を綺麗に飲み込めることが出来ました。

しかし、物語の根幹的な要素でさえも創作物でよく言われる「リアリティに欠ける」という定番的な文句に六花は頭を悩ませるんですよね。ある意味「SSSS.GRIDMAN」に対する制作側の自虐的な表現ですね。だから、敢えて六花に人間ドラマを担当させ、内海に特撮パートを担当させることで「SSSS.GRIDMAN」の大きな2つの要素を明確にし、クラスメイト達からの愛着と忖度抜きの感想を制作側から表現することが出来たのでしょう。
正直、新条アカネの表情や台詞から深層心理を読み取り、唯一の理解者でもある六花の感情を推察しないと新条アカネの存在意義を飲み込めないんですよ。だから私は「SSSS.GRIDMAN」を名作と評価しているし、本質的な魅力を見出せなかった方がいたとしても気にはしません。
何故なら私は「GRIDMAN_UNIVERSE」を通して創作物における虚構(フィクション)と現実(リアリティ)にアンサーを返したと思っているからです。


「奇抜な物語」で「リアリティに欠ける」虚構の様な物語(フィクション)を通して我々に何を伝えてくるのか...それが「GRIDMAN_UNIVERSE」のテーマ。

だから俺は、俺にしか出来ない、俺のやるべきことがあるんだ。

まず明確にしておきたいのは
「GRIDMAN_UNIVERSE」の主人公は誰なのか?
と言うシンプルな疑問です。
以前の様に表面的な主人公が響裕太(グリッドマン)で真の主人公が新条アカネでもなければ、運命共同体に5人組でもありません。
そう、この物語の主人公はGRIDMANが直接憑依していない正真正銘の響裕太です。
「SSSS.GRIDMAN」では主人公らしさと言うか、主人公としての魅力が欠けていた響裕太がやっと主人公として描かれることは自分としても非常に嬉しいし、再びグリッドマンと一体化した理由「GRIDMAN_UNIVERSE」で描かれたテーマ性が結びつくので滅茶苦茶褒めまくりたい所。

冒頭のシーンから振り返ると、記憶のない響裕太が小さなメモ用紙に何度も下手くそなグリッドマンを描いては消してを繰り返していますが、恐らく今の響裕太でさえも、自分と一体化していたグリッドマンの存在を明確にしたい気持ちに芽生えていることを示唆しています。

響裕太 作「グリッドマン」

しかし、今となっては虚構(フィクション)の存在であるグリッドマンを思い浮かべても、特撮演劇を見ても響裕太には全く響かないのも事実で、特撮ではない素人の演劇に涙を流し、六花が大学生(兄)の部屋に入る瞬間を目撃してしまった時等、虚構(フィクション)ではない現実(リアリティ)に感情が揺れ動いています。
そして、響裕太の感情が揺れ動いた時を狙って、別の次元で踏ん張っていたナイト君が虚構(フィクション)現実(リアリティ)の狭間的な存在「幽霊」と言う概念で表現されています。
自分にしか見えない幽霊に驚かされ、内海と六花が信じなかったとしても、響裕太にとってはその現象は虚構ではなく現実でしかない。
でも、今の響裕太にとってグリッドマンと新条アカネの存在は現実ではなく虚構。作品の設定を含めた前提条件は各キャラありますが、一貫して言えることは他人にとっては虚構(フィクション)かもしれないけれど、自分にとっては現実(リアリティ)的な存在であることを何らかの形で証明したい気持ちに駆られていると思いました。

それに加え、内海が響裕太に特撮DVDを見せていたのは「虚構(フィクション)だからこそ感動出来る」要素を見出して欲しかったのかもしれませんね。

特に六花に関しては「新条アカネ」が虚構ではなく現実を選んだ選択自分と結んだ約束を周囲に証明することで「新条アカネ」との関係を学園祭の演劇と言う形で残そうとしてます。これは、新条アカネに定期入れを渡した感覚と同じなんじゃないかと勝手に思ってます。

そんな虚構(フィクション)と現実(リアリティ)の狭間で感情が揺れ動いた時、怪獣が現れ響裕太にはグリッドマンの声が届きます。
先ほど「響裕太は自分と一体化していたグリッドマンの存在を明確にしたい気持ちに駆られている」と表現しましたが、響裕太が無意識の内に求めていたグリッドマンの存在「響裕太」として初めて「俺にしか出来ない、俺のやるべきこと」を見出した結論がグリッドマンと一体化し、虚構(フィクション)に片足を突っ込んで戦うという筋の通りまくった構成の綺麗さ。

そして、以前は自分の無力さを嘆いていた内海が傍観者(友人)としての立場をグリッドマンから肯定された時に渡されたガラス玉を響裕太に託し、一緒に居ることを約束することで内海自身も「俺にしか出来ない、俺のやるべきこと」を見出すのが滅茶苦茶良い。

グリッドマンと内海の友情の証でもあるガラス玉

ある意味、ここまでの展開は虚構(フィクション)だった概念を電脳世界では現実(リアリティ)として描いているので「虚構(フィクション)でしか得られない尊さや高揚感」から徐々に離れています。
「GRIDMAN_UNIVERSE」のテーマ性が見え始めた所で世界観や設定の推察、そして「SSSS.DYNAZENON」のキャラクター達を登場させることで、見え始めてきたテーマ性を隠そうとするんですよ。
有難いけれど、このやり方は上手すぎて憎めない。そんなこと考えさせる暇も与えず、この世界の違和感に気付き始めるまでの過程、気付き始めてからの響裕太の表情や視点、シリアスで不気味な雰囲気を醸し出す演出等に磨きがかかる訳ですから。でもここは敢えて、そのやり方に乗ってやろうと思います。

約束と愛と賞味期限

ここからは「蓬×夢芽」「裕太×六花」「ガウマ×姫」に注目しながら話していきたいと思います。

まずは「蓬×夢芽」の話から。
「SSSS.DYNAZENON」の主人公「麻中蓬」は「響裕太」と同じように地味な主人公ではあったものの「俺にしか出来ないこと」即ち「夢芽に寄り添う」ことで蓬は立派な主人公になることが出来ました。始めは鈍感さが目立ち、夢芽からの花火大会のお誘いを別の解釈で捉えてしまったり、心を塞ぎこんだ夢芽の「大丈夫」を鵜呑みにしていた時もありましたが、今ではバカップルぶりを遺憾なく発揮しています。

麻中蓬の主人公像は既に完成されており、夢芽と恋仲になることが出来たので今回の「GRIDMAN_UNIVERSE」では主人公として描く理由はありません。勿論、主人公ではありませんが主役であることには変わりなく、既に主人公として完成された蓬に与えられた立ち位置は「響裕太」のお手本、或いは先輩キャラ的なポジションなので六花への告白を裕太に促しています。

裕太と六花の場合は「グリッドマン」と「怪獣」の存在が消えてから、2人の関係性は一向に進展していませんが蓬と夢芽の場合は「ダイナゼノン」と「怪獣」の存在が消えてから2人は付き合い始めました。
それは単純で「ダイナゼノン」によって繋がった縁を引き離したくなかったからです。

怪獣とダイナゼノンが存在しない日常が終わり、更に関係が進展しなければ「それまでの関係だった」の一言で片付けられ、恋愛感情…いえ賞味期限が切れてしまわない内に告白するのがベストなんだと蓬は遠回しに言ってます。流石ですね。というか、蓬と夢芽が両想い過ぎて、恋愛の駆け引きとまでは言いませんけれど、今の自分が何をすべきか考えられる程、成長したんだなと思えるんですよね。

怪獣に囲まれた時、夢芽に謝罪してから怪獣優生思想の力を使ったり、夢芽に黙って裏で別行動していた時も夢芽への罪悪感で一杯なんですよね。前作と同様、自分の為ではなく誰かの為に怪獣優生思想の力に頼っていますが、
そもそも「インスタンス・ドミネーション」怪獣を操るというよりも、怪獣の内側に潜り込んで、怪獣そのものになる現象だと解釈しているので、怪獣優生思想を否定し夢芽と「かけがえのない不自由」を選んだことへの矛盾と裏切りを意味してしまいます。

元々、責任感が強くて夢芽の為なら無茶も平気に行える性格なので、夢芽は自分の元から蓬を離せない為に以前よりも距離感を詰めてるし、2人揃って完全体、つまりインパーフェクトではない訳なんですよ。おっと、ここから先の話はまた後程…

続いては「裕太×六花」
2人でアイスを買いに行って、公園で話す描写。
裕太はいつ六花に告白しようか迷ってるのに対して、六花は割と裕太からの告白を待っている様にも見えるんですよね。夏の季節にアイス食いたくなるのもわかるけれど、流石に帰り道に公園寄るのは滅茶苦茶、あざとい。
「いや溶けたらどうすんの」とかいうマジレス野郎は告白する勇気があるか、ないか以前の問題なので自分の鈍感さを恨んでください。
お化けを理由に告白未遂かました裕太に六花は激萎えしてる訳ですが、その時の表情と「アイス溶けちゃうよ」に告白を焦らさず、遠回しに急がせるこの表現力がたまらなく好き。「賞味期限」の印象が強すぎるけれど「アイス溶けちゃうよ」も中々に決まってて良き。

「アイス溶けちゃうよ」

話変わりますが、この会話シーンで「SSSS.GRIDMAN」放送当時から言われていた考察でもある、気絶した響裕太が六花の部屋で目を覚ました時、六花が「believe」を口ずさんでいたのは、響裕太から告白若しくはデートに誘われたから?という説を思い出した方も多いと思います。
告白される前から裕太からの好意に気付いていた節もあるので、この時から裕太と付き合うのもまんざらでもない様に見えましたが、グリッドマン同盟で戦った日々に加え、演劇の脚本から「新条アカネを通して何かを伝えたい」六花の気持ちを読み取り、裕太自身がグリッドマンとして戦うことを決めた姿に再び惹かれていたのは間違いないでしょう。

続いては「ガウマ×姫」
「SSSS.DYNAZENON」では蓬と夢芽の恋が実り、ちせや暦先輩もこれからの人生を前向きに生きれるであろうラストで物語が締められましたが、ガウマさんだけが心残りでした。
一番最初にダイナゼノンに乗って戦う理由を告白し、全員がそれを理解した上で戦っていた背景含め、その願いが叶うことなく力を失っていくガウマさんの姿は見ていて辛かったです。そんなガウマさんが再び元気な姿を見せ、唯一の心残りというべきか、未練でもある姫との再会を果たしましたね。

まさか前2作品のED主題歌を担当した内田真礼さんが姫のアフレコを担当する粋なキャスティングに驚きを隠せませんでしたが、ガウマさんの反応が自身と再会した時の蓬のリアクションとそっくり。伝えたいことが沢山あるからこそ言葉が中々上手く出てこない反面、そんな蓬を前にしたガウマさんは饒舌だし、そんなガウマさんでさえもテンションが高い姫にタジタジ。
蓬とガウマさんの再開が前振りになっているのは予想外でしたが、

「過去ばっかり見てないで、未来を見なくちゃ」

過去(姫)に捉われていることを見抜かれ、姫から
「人として守らなければいけない3つ」
「約束、愛、そして…」の3つ目が明らかになりましたね。
これまでガウマさんは何度か守るべき3つ目を言える機会を設けては、逃してきましたが、まさかの「賞味期限」というね。
私としては「SSSS.DYNAZENON」時点では、明かされていない3つ目は視聴者の解釈で片付けても良いと結論付けていました。映画本編で「賞味期限」というワードが出たことで、より自由に視聴者の解釈で3つ目を決めてもよいと思い込んでいましたが、現在進行形で過去に未練を残してるガウマに向けられた「賞味期限」なので、姫だけではなく、ガウマと蓬が「賞味期限」を最後まで強調していることから、この3つ目は「賞味期限」で確定なのでしょう。賞味期限の意味は
「過去ばっかり見てないで、未来を見なくちゃ」
姫の台詞そのものを意味しているので、自分(姫)に対する未練を抱えたままのガウマに「賞味期限」=「未来」という形でエールを送っていたのではないかと。

君達は虚構(フィクション)を信じることが出来る唯一の生命体なんだ

物語の本筋とNoteの方向性から一旦、逸れましたが私が映画本編で一番ショッキングだった描写が一つだけあります。
それは、六花が台本から新条アカネを消した途端に周囲の反応が変わったことなんですよね。私だけかもしれませんが、この瞬間だけ「SSSS.GRIDMAN」に対する自分の解釈が全否定された様な気がしたんですよね。あれだけ「リアリティに欠ける」と周りから言われても、六花が一番伝えようとした所なのに「分かりにくいって言われたしさ」で受け流してるんですよ。大多数の人間がそう思ったとしても、自分だけは新条アカネとSSSS.GRIDMANの魅力を理解したくて、あれだけ深堀したのに、制作側も自分みたいなマニアックな人間にだけは気付いて欲しくて、拘っていた筈なのに、こうも簡単に切り捨てていいのか。
お前が今いるそのジャンク屋は、新条アカネにとって本当は必要な物で集められた場所なのに、なんでゴミ箱に台本(新条アカネ)を捨ててるんだよ。
しかも「SSSS.DYNAZENON」の要素まで入れて、何を主軸にしてどんなメッセージ性を伝えたいのかもわからないカオスと化しちゃってさぁ。

なーにがフィクションだよ。くだらない。ゴチャゴチャしてたら良いんか?

いや待てよ、ここまで新条アカネの要素を消して「SSSS.DYNAZENON」のキャラとか追加しまくって、要素が多くなり過ぎたカオス寄りの作品って…「GRIDMAN_UNIVERSE」やないかい…

始めの内はテーマ性があるのかと思いきや、皆が見たいもの沢山見せといて実は上手く話し脱線させてた「GRIDMAN_UNIVERSE」やないかい!!!

そう思ったのも束の間、不意に後ろからナイト君から殴られたので我に返り冷静になろうと思います。

「GRIDMAN_UNIVERSE」で起こっていた現象はグリッドマンによって生み出された幾つもの宇宙が重なった結果。
新条アカネによって作られた電脳世界、グリッドマンによって作られた「SSSS.DYNAZENON」の世界、そして六花と内海によって描かれる「グリッドマン物語」等のマルチバースがグリッドマンの合体能力の延長により、「グリッドマンユニバース」が成り立っている。
この世界を一言で表すと混沌(カオス)

しかし、この混沌(カオス)により虚構(フィクション)が成り立っているのではなく、新条アカネによって作られた響裕太や六花、グリッドマンによって生み出された蓬は虚構(フィクション)を通して「俺にしか出来ない、俺のやるべきこと」を選んできた。
客観的に現実味(リアリティ)のない物語と言われても、形のない物を信じて現実(リアリティ)のみを受け入れず虚構(フィクション)を信じることが出来る私達だからこそ「SSSS.GRIDMAN」「SSSS.DYNAZENON」の深堀を続け魅力を見出し、解釈や考察を生み出すことが出来た。

だからこそ、私たちは「グリッドマン_ユニバース」が一体何を伝えたいのかを明確にしなければならない。制作側から自分の作品を批判し、本当に伝えたい思いを消してまで混沌(カオス)を描いた過程と結末に私なりのケジメをつける必要がある。響裕太とグリッドマン…そして‘’彼女‘’がそうした様に

目を覚ませ!僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ!

グリッドマンが響裕太に対して負い目を感じていたことが原因で「グリッドマンユニバース」を引き起こしてしまいましたが、私が「SSSS.GRIDMAN」で感じていた通り、あの物語を語る上で響裕太はそこまで主軸にならないんですよね。そこに違和感を感じる人もいれば、不満に感じる人もいて、グリッドマンが六花の台本に響裕太がそこまで描かれていない事に負い目を感じるのもまた、制作側の自己批判とも捉えられますね。
本来であれば「SSSS.GRIDMAN」は「響裕太としての物語」を描けた筈ですが、グリッドマンが響裕太として活動したことで主人公としての魅力が失われた事実があります。
しかし、響裕太本人はグリッドマンに感謝しているんですよね。
グリッドマンと面と向かって感謝する以前に響裕太は、バンドでアクセプターを隠していないので、自分の弱さを自覚しているグリットマンと共に戦う覚悟なんて既に出来ています。
響裕太の「俺にしか出来ない、俺のやるべきこと」は六花への告白であり、その過程としてグリットマンと戦うことが響裕太の答え。

グリットマンが響裕太に憑依出来た理由響裕太が自分からグリッドマンと一体化した理由「GRIDMAN_UNIVERSE」にて一致してしまう構成の美しさに感動を覚えます。

そして誰かを助ける側だったグリッドマンが響裕太に信号(サイン)を送った様に、グリッドマンによって助けられた新条アカネが、今度はグリッドマンを助ける側になります。
ここまで登場させず、制作側が新条アカネを隠してきた意図としては、続編作品で「新条アカネ」を易々と登場させしまうと「SSSS.GRIDMAN」最終話の解釈が不一致になり兼ねないからです。
再び新条アカネの姿を見たいと思うこと自体、我儘極まりない欲求なんですが、その気持ちを抑えられないのが私達であり、制作側も新条アカネに対する思い入れと愛着を隠しきれていないのも事実。
だから再登場させる為には、それなりの土台がないといけないのです。

新条アカネは現実逃避の末、偽りの自分を作り、怪獣だけではなくて、オタク友達も恋人も親友も作ってしまう程の孤独で繊細な人間。グリットマンとアンチ君、そして六花から救われて初めて現実世界へ帰還(覚醒)することを選びました。再び、六花と新条アカネが直接会う様なことがあれば、最終話で定期入れを渡した意味もなくなるし、新条アカネの決意そのものを否定することになります。しかし、現実世界に帰還(覚醒)した新条アカネと電脳世界を繋いでいるものが一つだけあります。それはジャンク屋です。

電脳世界のジャンク屋に集められた物は、六花とグリットマンを始めとする新条アカネが向き合わなければいけない対象ですが、新条アカネは自分には不必要と判断していたので、無意識に孤独を抱え、自分を追い込んでいました。
しかし、最後は逃げずに六花たちと向き合い、現実世界へ帰還(覚醒)した新条アカネは、現実世界の河川敷で不法投棄されたガラクタから、本来自分と向き合わなければいけない友達を助ける為にコンタクトを取っているので、再び電脳世界へ戻る行為を現実逃避と描かず「見捨てられたガラクタ」と向き合う姿を描く事で、自分自身で見出した現実での生き方と成長を何処までもポジティブに描いているんですよ。

だから新条アカネが自分の為ではなく、友達を助ける為に怪獣優生思想のコスチュームを着て電脳世界に再び参上して尚且つ、六花が新条アカネに渡した定期入れがモデルになっているので感慨深いですよね。

そもそも、怪獣優生思想とは「無秩序な自由」を得る為に怪獣を利用します。我儘な神様として怪獣を利用していた新条アカネは、怪獣優生思想の本質そのものなんですよ。蓬同様、「インスタンス・ドミネーション」を手段の一つとして使用するのは、自分の私利私欲の為ではなく新条アカネが友達を助ける為に使う手段なので、私達では想像できない決意の元に成り立つ「インスタンス・ドミネーション」と解釈出来ます。
我々、視聴者と同じ現実…いえ、3バース目の現実世界を生きている新条アカネが虚構(フィクション)という媒体に姿を移すことで、虚構(フィクション)に存在する友人たちの絆を証明し、虚構(フィクション)を信じることへの素晴らしさを体現しています。

TRIGGER「お前ら、これが見たかったんだろ」

新条アカネさん…自分を散々利用したアレクシス・ケリヴを次は自分の手で利用するのはね…前作の悪役が次は味方になって一緒に戦う熱すぎる展開を実現させる魂胆しか見えてこないのよ。
他にも「グリッドマンユニバース」でしか成し得ない、戦闘シーンの数々が盛り込まれていましたが挿入歌を入れるタイミングが神がかってました。

特に「インパーフェクト」は最高でしたね。蓬ただ一人が取り残され、グリットマンが復活を遂げても尚、ピンチ続きの現状に「なんとかビーム」の叫び声と共に夢芽の「よもぎいいいいい」に答える蓬の「ゆめえええええ」が「交響詩篇エウレカセブン 第26話モーニング・グローリー」で「STORYWRITER」が流れた時の感触と同じ過ぎて。
しかも「SSSS.DYNAZENON」でお馴染みの合体シーンに続き、ガウマ隊5人全員揃った状態で団結力全開の掛け声による

「はーい!それではみなさんごいっしょに!」

「「「「「ダイナゼノン!バトルゴー!」」」」」」←五人分の「」

は誰一人として欠けてはいけない「インパーフェクト」を象徴してるのが滅茶苦茶熱い。しかも、一時期は自分だけ浮いてると思い込んでた「ちせ」が率先していたのが尚更良いという。映画本編では2度もバラバラになったガウマ隊ですが「バラバラだからこそ、俺たちは出会えたんだ!!」というガウマさんの台詞がこの映画でも思い出せるので、作品を深掘りし続けた甲斐がありました。

「宝多立花」と「新条アカネ」を足して2で割った「飛鳥川ちせ」

以前のブログでちせを深堀した時「ちせは新条アカネと似ているけれど、互いに選んだ道は違う」と話しましたが、今回明らかになった設定から、グリットマンによって作られた世界の住民でもある「ちせ」のモデルが「新条アカネ」と言ってもおかしくはないので、彼女の左腕にある新しいゴルドバーンのタトゥーが具現化された時、霊状態?になった新条アカネから語りかけられるのも遠回しにそれを示唆していると解釈しました。

奇抜で始まり、普通で終わる物語

この物語は「奇抜」と言う言葉から始まる通り、

  • 響裕太と六花、内海の電脳世界(ワンバース)

  • 蓬と夢芽たちのいるグリットマンによって作られた世界(ツーバース)

  • 新条アカネが帰還(覚醒)した(スリーバース)

無限の想像の中から広がり、重なり合ったユニバースで繰り広げられる虚構(フィクション)の物語です。
あれだけド派手な特撮戦闘シーンを魅せられ、無理があるように見えて、しっかりと成立させている世界観や設定に目を奪われがちですが、この物語の着地点はかなり等身大なんですよね。

ナイト君は唯一の心残りでもある新条アカネに感謝の言葉を届け、新条アカネは彼がアンチ君の時にしてあげられなかった優しさで返し、六花とは直接再開することもなく肩を撫でて去りました。
この2人が再び並んで映ってしまうのは、解釈不一致なので直接ではなく間接的に触れ合うことで、最終話で描かれた2人の別れと定期入れの意味をより強く表現できていますね。因みに、四週目の特典ではクリアファイルを重ねることで2人が手を握る構造に仕上がっています。解釈一致で軽く悶え死にますね。

そして再び、電脳世界から現実世界へ帰還した新条アカネは、友達と一緒に河川敷でゴミ拾いをしているので、自分が向き合うべき対象を現実世界でも見失わず、誰かと共に頑張っているんだと安心出来ましたね。「SSSS.GRIDMAN」最終話後の話との繋がりだけではなく、虚構(フィクション)ではない現実(リアリティ)を選んだ新条アカネの姿を見て、敢えて実写映像を入れた意図が明確になったので「新条アカネと立花は同一人物」説を唱えていた方々への救いもあったんじゃないかと思えます。

そしてガウマさんは姫の未練を断ち切り、蓬と夢芽は賞味期限が切れない内に蟹を食べることになりますが、まさか蓬から自宅に誘われる形で一緒に蟹を食べるとは思いもしませんでした。
蓬からの不意打ちを喰らう夢芽さんですが、蓬に関しては母親の再婚相手との食事を嫌がってた癖に、次は彼女である夢芽を家に呼んで、母親と再婚相手と一緒に鍋を囲むやり返しに近いことをしちゃってるのが最高に面白いですね。
序盤ではワイワイしながらご飯を食べるシーンが2つほどありましたが、最後の食事シーンの雰囲気は静まり返ってましたね。蓬の母親は気まずそうにしているから、蟹の味なんて分からないから「普通」の一言で済ませてるんですよ。

正に等身大な着地点。この映画は「奇抜」に始まり「普通」で終わります。あれだけ壮大な物語なのに、最後は割と狭い範囲で片付くのは「SSSS.GRIDMAN」の時からなので、キャラクター達の結末から作品のメッセージ性は必然的に浮かび上がってくると思います。

僕達は虚構を信じることが出来ただろうか

この作品が最終的にやりたかったことは、主人公である響裕太が六花へ告白する至って普通の物語でした。六花が実際にあった出来事を台本に起こしたことで、自分自身のことも、裕太のことも分かる様になってきたと話していましたが、これってこの作品の魅力を理解するために深堀りしている私達にも当てはめられるんですよね。
この作品を視聴して、作り手の何かしらの意図を感じたから、言語化してまで誰かに伝えようとしてるのが今の私であり、見た直後の解釈言語化し終えた今の自分の解釈の深さは全然違うと思います。

「SSSS.GRIDMAN」が放送されてから6年目。
自分なりの解釈と考察を言語化しNoteやYoutubeで共有してきましたが「GRIDMAN_UNIVERSE」公開に向けて制作した時期を考えると時期を逃し過ぎましたよね。でも、時間かかって良かったと思います。
映画公開までの長い期間、多くの考察や解釈、そして絶賛と酷評含めて批評が溢れかえり作品を深堀りし続ける私たちに対して、制作陣がこの映画を通して後押ししてくれた感じがしました。

無限大の想像力(虚構)=グリッドマン

虚構(フィクション)が現実味(リアリティ)に欠ける概念と捉える方もいると思います。この映画ではその虚構(フィクション)をグリッドマンに置き換え、人々による無限大の想像力が時には現実(リアリティ)を上回る本物の面白さを与えてくれた事実は私の中で永遠に残り続けると思いますね。

制作側からは虚構(フィクション)を作る素晴らしさが伝わり、視聴者には虚構(フィクション)における本物の面白さを教えてくれたので、これからも作品への深堀りを続けていこうとより強く胸に刻みます。

ここまでご覧いただきありがとうございました。
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