見出し画像

「生きる」について思うこと

昨日、ライフデザインスクールの中で、「楽しむ」ことが自分にとってのキーワードであることがわかった。そして、なぜ「楽しむ」ことが自分の中で重要なことなのかを掘り下げていったときに、それが生きる責任だからだと思った。


僕は、昔から「人とは違った感性を持っている」と言われることが多く、幼い頃は動植物とテレパシーで会話ができた。だからこそ、今の人間中心の社会に対して疑問を持っていた。

「なぜ、人が殺されたらニュースになるのに、動植物が殺されてもニュースにならないのだろう。」

小学生の頃は本気でそう思っていた。その一方で、自分が生きる上で他の動植物を殺さなくてはいけない現実があった。

「どうして僕たち人間は、他の動植物を殺さないと生きていけない体のつくりになっているのだろう。」

僕が生きるということは、他の命を犠牲にすること。自分の命は他のたくさんの命の犠牲の上に成り立っている。


だからこそ、今を生きている僕たちには、「楽しく」「心から」生きる責任があると思し、そのように生きてほしいと願う。たくさんの命の連鎖の上に「今」この自分の命は存在している。それって、とてつもなく奇跡的なことだ。今生きていることが当たり前ではなく、「奇跡」だと実感することができたときに、「今生きている」ということ”のみ”からくる自信が生まれる。その自信が「今」を生き抜く力をはぐくむ。


自殺大国日本。その背景には、この生きること”のみ”からくる自信の欠如が起因していると思う。生活があまりにも快適で便利になり、生きることが簡単になりすぎたのだと思う。安全が確保されている日本で暮らしていれば、「死」と直面する場面はそう多くはない。生きることが簡単で、「生きていることが当たり前」の世界になっている。それゆえに、生きている”だけ”では、自信を持つことが難しくなっている。


だからこそ今、「生きていることが当たり前ではない世界」で生きるアフリカの人々から「生き方」を学ぶ必要があると思う。お金がなくてかわいそう。水がなくてかわいそう。確かにアフリカにはそういった「負」の側面は存在する。しかしそれ以上に、そのような厳しい現状の中でも心豊かに生きる人々の「生き方」がそこには存在する。アフリカに「与える」ばかりではなく、アフリカに「学ぶ」形の関わり方があってもよいのではないか。「ア福リカ」を通じて、そんな「生き方」を学ぶ場を作り、一人でも多くの人が「生きる」を見つめなおすきっかけにできたらいいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?