9/1(木)ジレンマとかっこいい鬱

 今日はとある案件の定例会議。詳しくは書けないが、しかし激しいジレンマだ。

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 夜、別件のため上司に連れられ有楽町へ。しかし、埼玉くんだりから有楽町――つまりは銀座までくると、気分はすっかりおのぼりさんだ。ついつい、観光気分で桜田門駅まで歩いて帰る。

日比谷公園手前より、帝国ホテル方面に向かって撮影。
建造物一つ一つから「このおのぼりさんが!」と嘲笑う声が聞こえる。

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 吉田 豪著『サブカル・スーパースター鬱伝』読了。
 読んで再認識してしまったのは、「サブカル」と「立派な社会人」には大きな隔たりがあることだ。僕の中では、最終的な表現方法は違えど、サブカルと芸術の制作過程はとても似通っていると思っている。いかに”自分”という存在に対峙するか。自分を抉っていくか。それが共通点。
 脚本作業(シナリオ、ではなく、脚本)なんかも、ひたすらに自分を見つめていく作業。自分は何が好きか。何が嫌いか。アレについてどう思うか。コレについてどうしたらいいか。他人とは異なる自分なりの価値感を、自分の中から見つけていく作業だ。『いかに自分を面白がるかの作業』と言い換えてもいいかもしれない。だから、自分を見つめたときに何も出てこないのが、いわゆるネタ切れ。インプット作業が必要な時になる。
 僕自身、数年前から社会人として働いている側面もあるが、クリエイター(芸術家、ではなくて、クリエイター)としても求められる節がある。今までは、上記のような芸術家的な発想で作品を作っていたが、これをやると、どんどん社会人からかけ離れていく……僕の中では。この「芸術家」と「社会人」としてのバランスが取れず四苦八苦している塩梅だ。できれば、面白いこと、くだらないことだけを考えていたいのが本心だ。

 まあ、そういうのもあって、日記を書き始めたんだけど。くだらないことを思いつかなくなるのではないか、という恐怖から。
 僕はこの恐怖を「まんこの壁」と呼んでいる。昔のブログを見かえすと、隙あらば「まんこ」と書いている。まあ「まんこって書けば面白い」という安直さもどうかと思うが、それはさておき、最近は、まんこの前にそびえたつ「社会的立場」という名の壁を目の前にして、完全に足が竦んでしまっている。会社関係者に見られちゃまずいでしょう。まんこ尽くしの日記なぞ。まんこヅラした大人(どんなツラだ)となんて、とても秘密保持契約なんて出来ないでしょう。この「まんこの壁」に苛まれ、徐々に没個性的な価値観の持ち主になっていくのだ。ふぁ~。

 話は戻るが、『サブカル・スーパースター鬱伝』。僕はここまで才能あふれちゃいないが、読んでてちょっと鬱がうつりそうな気分になっていた。なんでって……尊敬する人たちがことごとく鬱になってるし……鬱、かっこいいじゃん……。死ぬほど辛そうだし、実際はなりたくないけど。
 まあそれと、同じような悩み方ができない自分に落ち込んでいくんだね。

 いやあ……曝す日記だなぁ…。曝しすぎる日記だ。自意識過剰とわかっていても、とても友人にも見せられないと、mixiからのリンクもはずしてしまったよう……。曝してる割に、面白くないもの……この日記……。曝したら曝した分、面白がってもらわないと、価値なんか生まれないよう……。

 ああもう、まとまりのない日記。

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