きっと分からないでしょう

心を病んだ人の気持ちを考えた事がなかった。
私は幼い頃から、怪我や病気をせず、毎日健康で欠席する事なく学校に通う、まるで絵に描いたように皆勤賞を貰う子だった。

本文の主旨とは少し違うが聞いてほしい。
私は看護師になることを決めるまでの気持ちの変化についてだ。
大学に入学し、学年が進むにつれ、実習の経験や就職を考え始めた。今後自分がどんな場所で働きたいかをイメージする機会が増えるなか、私が興味を持ったのは精神科だった。

私の物事の考え方に大きな変化をもたらせてくれたターニングポイントとして、精神科での臨地実習がある。
そこで人生で初めて、心を病んだ人と関わりを持った。同じ国のなかで、自分の知らない感覚を持ち合わせた人がたくさんいることを知り、驚きと発見の毎日だった。これまで自分にとって常識だったことも、その場では必ずしもそうではない、ということがあまりにも衝撃的だったのを覚えている。
そして自分の価値観や物差しは、1歩外に出れば、なんの役にも立たないことを、まじまじと思い知らされる経験をしたのだった。

そこから私の中の考え方は大きく変わったように思う。それについてはまた別の機会に残したいと思っている。ここまで長々と書き連ねてきたわけだが、今回私が書きたいのは "誰でも心を病む可能性がある" ということだ。

先にも述べたとおり、私はいわゆる "健康な子供" として過ごしてきたため、少しの体調不良で休んだり、早退する人の気持ちというのは、全く持って理解ができなかった(するつもりがなかったという方が適切な気がするが) 。
心が辛いという事がどういうことなのかも考えたこともなかったし、身近にそういったひとが居なかったこともあってか、関わる機会がなかったのだ。これは言い訳かもしれないが。

そんなこんなで、元気な自分には、心を病むなど関係のないことだと思っていたのだが、少し前から突然、私は心身共に体調を崩し、自分でも驚くほど心の調子を悪くすることとなった。

きっかけはわからない、いつ、どんな事が原因か、何がストレッサーとなっているのか、考えてみたところで何も思い浮かばない。何をする気にもなれず、身体がだるいし、心が沈んでいる。

本当に消えたいと思った。死にたいと思った。生まれて初めて遺書も書いたし、少しだけ自傷にも走ってしまった。まさか自分がこんな状態になるなんて。自分のイメージとかけ離れた自分が鏡の向こうに映っている事が心底信じられなかったし、信じたくなかった。

あれ、おかしいな。常に良い自分の姿でいなきゃいけないのにできない。

おかしい、今までやってきたじゃないか。
ちょっと耐えて頑張ればできるはずのことでしょう、

それが...今回ばかりはちょっと...上手くやれない...私なのに、私の心と体なのに、一体なぜ...
いつも通りでない自分の変化に驚き、ぐるぐると同じ考えが頭だけを巡っていく。答えはもちろん出ない。

しかし、なぜ、なぜ、なぜ...何度でも繰り返す。どこで間違った?何が悪かった?

修正すべき点を探す、しかしそれは更に自分を追い詰める。

そんなある時、ぷつんと糸が切れ、ふと限界を迎える。

死を望んでしまう人が行き着くメッセージセンターに連絡した。しかし何度チャットを送っても返信はない、"今"が緊急事態で、必要としている人のもとに届かない支援が、いかに頼りにならないか、本当によく分かった。

やはり現実は、必要としているすべての人に手を差し伸べてはくれない。

私は今に必死にしがみついた。明日目が覚めたら、ここにいないことだけを一生懸命に祈った。そして消えたいという想いだけを、空っぽの胸に抱きしめて目を瞑った。そうして何日も何日もやり過ごした。

そう、明日はきっと。

私の "生きる" ことへの執着は薄まってしまったのだろうか。
それでも不思議なのが、運転する時は赤信号を守るし、帰ったら手洗いうがいをするし、外出時はマスクをしている。消えたいと願う一方でなぜか今を生きようとしている。それが何故か、考えてみても分からなかった。

しんどいな、と思いながら暮らして2ヶ月が経とうとしている。変わらず気分の浮き沈みは激しい。
私は心療内科を受診したわけではないし、何か特別診断をうけた訳でもないので、あくまでもこれはすべて自分の感覚で物事を捉えている。私のいち"体験" でしかないことはご了承いただきたい。

元気だけが取り柄だった私がここまで心を病んだこと、それは誰にでも起こりうる日常であること。私と似たような想いを抱えて、だけれど平然を装って仮面を被りながら暮らしている人が、今日もどこかにいるかもしれないこと。そう考えると知らないだけで、もっとあらゆる事が自分にとって身近なことなのではないかと、改めて考えさせられる。

しかし、こういった悩みや相談は決して簡単に他人に相談できない。それがまた辛いのだと思う。相談したとしても、返ってくる言葉は相手が余程理解がある専門家でない限り、"大丈夫だよ"の言葉を利用した自分語りではないかと思う。
なぜなら私がそうだったから。

"大丈夫だよ〜何とかなるって。私だって時々死にたくなるし、みんな何とかなってるって"

相手を元気づける言葉のつもりが、自分の感覚で、相手を振り回していることに当人は気づいていない。

世の中想像だけでは限界がある事が多い。
だから経験した人にしか分からないことがある。
あなたにはきっと分からないでしょう、
そう思いながら自分の本心を隠して今を過ごす。
最近は意思を持って生きるというよりは、時間が経つのを待つという感覚に近い。

それはいけないと心のどこかで少しだけ感じながらも、自分をどうにか楽にしてあげたい思いが大きくなり、消えたいと祈ることをしてしまう。

嗚呼、きっと今夜も祈ってしまうのかな。
ご褒美が欲しいとは言わない、ただ、明日は今日より少しでも良い日になりますように。
その気持ちも出来るだけ忘れずに、そしていつかはそれだけを思えるように、つま先を前に向け、少し、踏ん張ってみようと思う。

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