振り返ると

自死が "しないもの" から、 "してはいけないもの" に変わった話

"自ら命を立つことをしてはいけない"
"親よりも先に死んではいけない"

まるで、世の中の当然とされる常識のような文言

あの時、自殺なんてしない、過去の私がそう言い切れたのはどうしてだったのか

何もかもが嫌になってしまった時、痛みを感じなくなってきたとき、誰かに捕まえてもらっていないとそっとどこかに行ってしまいそうなことがあった
そんな時にふと思っていたのが消えてしまいたいなという感情だった

何かはっきりとした原因が存在する訳ではない 
ただ、何も感じず、ぼうっとしているだけの時間が、いつまでも続くことに対して恐怖感を覚えるようになったのだ

これからずっと同じようなことを繰り返して、感情を消耗していくんだということと、その先の果てしなさを想像しては、消えたくなるのだ

生まれた星に帰りたい
遠いところへ行きたい

だけど、それを自らしてはいけない
ただ、ひたすらに、じっとその時を待つのだ

いつやってくるか分からない迎えを待つ
ある人はそれを恐れながら
ある人はそれを望みながら

どちらかというと、私は常に後者である

しかし私は、ふと ある瞬間を思い出しては、それがいけないことなのではないか、間違っているのではないかと感じる時がある

大好きだった恩師の突然の病死
突然にきたその迎えの瞬間は、当時受験を控えていた年齢だった私にとって、あまりにもショックが大きかった

婚約中だった先生
棺桶の中で眠っていた...のだと思う
分からない、

式で着るはずだったウエディングドレスに身を包んだ先生
箱の中に大切にしまわれた先生は どんな表情をしていたか、分からない
生命の流れが、昨日まで通っていた血が、酸素が、今はもう止まってしまっている

私はそれがどうしても不思議で仕方がなかった
当時の私にとって、それはあまりにも恐怖だった
あの時、先生の顔、ちゃんと見ればよかった

憶えているのは、悲しいほどに色鮮やかな花たちと、眩しい光に反射してみえない遺影だけだ
怖くて顔を見られなかった後悔だけが 今も残っている

今でもふと思い出す、
先生のおかげで好きになった英語
楽しかった先生との中学の生徒会活動もすべて覚えているのは もう 私だけですね
教室の備品の輪ゴムで遊んだとき、ひどく叱られたのを思い出した 
部活が辛かった時も相談にのってもらいましたね

悲しみに溢れ、灰色に包まれたあの空間で、
望まずに行ってしまったあの人の手を、無理に引っ張ってでも引き止めたかった、そんな人はきっと私だけではなかったはず

他人に対してはそう思えるのに、自分について考えたときはなぜだかそう思えない
だけど、まだこうやって生きることに踏みとどまっていられるのは、当時先生に対してそう思ったように、私の中の何かが、1mmでも私自身を引き止めているからなのではないかと感じる
まだ、ここに在りたいと

遠い過去では "しないもの" のはずだった自死は、いつしかこうして、私にとって "してはいけないもの" に変わりつつある、そしていまだに揺らいでいる

自ら望んでは、選んではいけない

今もどこかから、そう強く言われているような気がする

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?