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#短文備忘録 3


大学の授業でタイで行われている土器製作の一部を動画で拝見した。

一見 普通のお母さん、おばあちゃんが(向こうでは土器を作る作業は主に女の人が担当するらしい)土器を作っている映像だが、その作業の節々から洗練された動作を感じた。
まず土器製作は早朝4時頃から行われるらしい。
早すぎる…。

しかしこれもよく見ると、粘土から土器の形を整えた後一旦乾燥させる必要があるのだが その時間が丁度日中の気温が高い時間に当たるようになっている事がわかる。
ただ朝が早い という事ではなく、気候や作業時間を元に逆算された生活リズムになっているという事だ。

そして特に分量を決めたわけでもないが、山積みにされた粘土を適当に掴み取っていき土器を作る。
しかしそれらはほとんど同じ大きさ、同じ分量で作られていく。
手の中にある粘土が大体このくらいある というのが感覚として染み付いているのだ。
これや、土器の形を整えるときの足運びなど一朝一夕で身につくものではなく、小さい頃から常に土器作りに携わってきた時間そのものを生々しく感じさせられた。(映像を見て生々しくというのもおかしいが)

もっというと、それはその人が考えたわけではなく 代々受け継がれてきた動作であってそう考えると何百年という時間がその人の身体に宿っている事になるのではないか。

漠然と「身体性」というワードが頭の中に浮かぶが、
このような時間(技術)を保存し、排出する
そういった機能が 私たち身体には備わっているのだな と。

ストリートダンスも元を辿れば海の向こう側で生まれたもので、それが時と場所を移動して今の自分の中で形を変えて排出されている。
そう思うと、自分の身体は 様々な事象と繋がっているし、繋がる事ができる
ただ山形で暮らしている一人の大学生 という訳でもないのではないか と……。

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