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行徳郷土文化懇話会のこと

行徳郷土文化懇話会。略して「行文懇」。私がいつから会員になったのかはっきりしていないが、おそらく2016年頃からかかわりがあったものと思われる。
今年になって、市川よみうりや毎日新聞地方版にも行文懇の活動が掲載された。メディア(地方紙)にも取り上げていただくことも多くなり大変喜ばしいことである。

私のコラムでも行文懇が登場することもあり、行文懇と自分のかかわりについて紹介がてらちょっとだけ書いてみようと思う。


行文懇の歴史

行徳郷土文化懇話会は、「行徳の歴史と文化の継承」を目的とした市民団体である。設立は非常に古く1979年(昭和54年)、ご長寿団体なのである。

もともとは、旧家の当主など行徳地域の旦那衆の語らいの場として、いつしかスタートしていたとの話である。入船にあった料理店「かも宛」(2007年頃閉業)がその語らいの場所であったらしい。

東西線が開通したのが昭和44年。それから10年が経ち、新しい住宅が建ち人口が流入する中、旧来の行徳の歴史や文化をどのように語り継いでいこうか、ということを討論していたののだろう、と時代背景から想像する。

最大の偉業である「浦安・行徳三十三カ所観音霊場めぐり」の復活

行徳にはお寺がたくさんあるが、江戸時代には行徳内で札所めぐりができたらしいという情報だけはあった。文献調査など行い、そのお寺三十三カ所をつきとめ、札所めぐりのイベントとしてスタートさせたのである。1984年(昭和59年)のことだ。

その札所めぐりこそ、今も一年に一度行っている「浦安・行徳三十三カ所観音霊場めぐり」である。その間、荒天やコロナなどで中止になった年もあるが、40年間継続している。

調査し復活させた大先輩たちの地域の歴史に対する想いは並々ならぬものを感じ、畏敬の念をいだく。復活に関わった主だった方々は今やもうお亡くなりになられている。立ち上げ時に関わった方々も少なくなり、また様々な時代変化などを乗り越え、ここまで継続させてきた現名誉会長の田中愛子氏はじめその他の方々には敬服する思いである。

会報誌「もしおぐさ」

行文懇は1988年以降5年間にわたり、4冊の会報誌「もしおぐさ」を世に出している。会報誌では、会員が行徳のことを書き残しており、当時の行徳の風景・世相などを伺うことができる。この会報誌は実は市川市立図書館に所蔵があり、誰でも読むことができる。

残念ながら、もしおぐさは1994年(平成6年)に発行された4号を最後に止まっており、このあとの活動の動きはあまりよく見えなくなってしまう。

その間、どういう活動をしてきたかあまり目立ったものは確認できていないが、三十三カ所だけは維持継続してきたということははっきりしている。

行文懇に対する私の関わり

私が行文懇に出会ったのは、長男が小学生にあがり、地域のことに関心が芽生え始めたころである。長男は私が行徳に引っ越してきて数年後に生まれている。そのころは仕事漬けの生活であり、町のことといってもスーパーや飲食店などといったことにしか関心がなかった。

小学生にあがり、子供の記憶にとってこの町が故郷になることを実感し、急に地域のことに関心が深まったのである。
いろんな地域イベントに関わる中で、現名誉会長の田中愛子さんと巡りあい、かかわることになった。

当時の行文懇は、一年に一度三十三カ所霊場巡りを行っていた。また、他の団体からの要請に応じて塩づくりの実演を行ったりもしていた。対外的なイベントはその程度であり、不定期で会員どおしの会合が開かれていた。それは会議というより、親睦会のようなものであった。

私にとって、この会合に参加するのが、非常に楽しみであった。旧家の方などから行徳の昔ばなしを伺うことができた。そこでは文献などには出ていない情報、そしてそこに長く住む方々の視点から、行徳の町の変化など生生しいお話を聴くことができ、非常に新鮮であった。

また、会には中台神輿の中台洋社長や元行徳支所長をされていた田草川信慈氏などそうそうたる有識者も属しており、私個人が取り組んでいた調査研究や、川・町あるきのイベントなどの相談に乗ってもらったりし、バックアップいただいたことも大きなことであった。

新たなステージへ。「行文懇講座」の開催

そうそうたる有識者など属しておりながら、会独自で企画して行うイベントがなかったのが残念であったが、変化はコロナ禍に訪れた。コロナ禍で、周りの大きなイベントがどんどん中止になっていくのを目の当たりにし、こじんまりした講演会なら、リスクも小さく実行できるのではないか、という声があがり機運が盛り上がったのだ。結果、こじんまりした講演会イベントを仕掛けることになった。

これが2021年に行った第1回行文懇講座だ。この会場になったのが、本行徳三丁目自治会館という八幡神社の横にある小さな自治会館だ。
10人集まれば良いところ、と軽く思っていたところ、蓋をあけると、午前の部、午後の部とも満席になった。

このイベントがきっかけになり、行文懇に私と同年代のスタッフがふえることになった。会に実行力が備わり、今年の1月に第2回行文懇講座を行徳I&Iホールで100名規模で行うに至ったのである。
このI&Iホールの第2回講座では私も基礎編の講師を務めさせていただいた。

行文懇の展望

このような市民イベントを通じて、地方紙などにも地域団体として紹介いただくに至ったが、行文懇の本来の目的は、「行徳の歴史と文化の継承」である。使命は、書き残すことであると私は思っている。古老とのお話の機会は多い。しかしその場で聴いているだけでは、自分や会だけのものになり終わってしまう。しかし、これを会の外の方にお話すると、さらに面白さが広がるのである。さらには、数年後には立派な歴史として認められる貴重なものになる。

講座として皆にお伝えする、そしてそれを文章として残す、それが使命なんじゃないかと思う。

この使命に挑戦したのが、昨年発行した会報誌「もしおぐさ5号」である。
冒頭に述べた通り、行文懇の会報誌「もしおぐさ」は昭和60年の4号を最後に、休刊していた。5号では会員がそれぞれ独自の視点から行徳を語るコラムを掲載している。次なる6号では、会の活動などを文として残していくことを考えている。

2023年12月に発行された行文懇会報誌「もしおぐさ5号」

「懇話会」という名に込められた意味

もう少し短いコラムを書くつもりが、ついつい熱くなり、いろいろと長く書いてしまった。現名誉会長には、私が熱くなると、まじめに使命を果たすことも大事だが、「くっちゃべって情報交換して親睦図るのが一番大事よ」とよく諭される。そういえば、会の起源は「行徳かも宛」での語らいの場であった。この会は「懇話会」なのである。

行文懇が独自のイベントをやるようになり、確かにその語らいの場がちょっと減った気がする。
大事なことを忘れないよう、これからも関わって行きたいと思う。

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