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予想に反して好きになるとき。

予想に反して好きになるとき。
何も思っていなかったところから、その人の事を好きになるとき。個人的に接触する人でもそうだし、一方的に目にするだけのアーティストが対象でもそう。ファーストインプレッションから好きになる場合ではなくて、関心がないところから接触を経て好きになるときには傾向がある。

好きになるのは、堂々としている人。
実績がなくても。
巷で変な噂が流れていても。
頭髪がプリンでも。
イケメンじゃなくても。
(もしかしたらファーストインプレッションで好きになる人もそういう傾向があるかもしれないけれど、今は置いておこう。)

別のところに魅力があって、そして堂々としている。堂々としているという表現に語弊があるのなら、「自分自身を受け入れている人」。
もちろん、私の一方的な思い込みの可能性もあるけれど。
そういう人に弱い。とっても。

そういう人は闇雲に世間に迎合しない。
正解不正解を考えながら表現をしない。
放たれるエネルギーがつっかえていない。
歪みがない。
自分の言葉で語っている。
自分の思想で表現している。
だから安心して受けとれる。

ただ堂々としているだけの人は見た目から違う。
体や表情や意識が固い。
自分で自分の弱さを受け入れていないと、相手につつかれたくなくて防御するせいかもしれない。

弱いことが悪いことじゃない。
弱さを受け入れられないことが悪いことじゃない。
ただ、弱さを受けいれることができれば楽になれる。
自分にも、人にも。

そういう人に憧れめいた思いがあるのかもしれない。
そういう人を目にすることで、表現に触れることで、自分を同期させたいのかもしれない。
それなら、そんな人を好きになることは、求めることは私にとっての”治癒”なのかもしれない。あるいは欠乏か。

分からないけれど単純に、いいな、と思うんだよね。
羨ましいという意味のいいな、ではなくて、素敵という意味の、いいな。good。

「何を通じてエネルギー消費をするのか」が、人生なのだとしたら。
私が文章を通じて叶えたいことも、そういうことなのだと思う。
ただ体現をしていく。ただ表現をしていく。
私は私のやり方で。

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