「過ちは繰り返しませぬから」とでも。
あの粗大な遺物ははたしてどうなるのか。その感心すら薄れていた旧広島市民球場跡地に残されたライトスタンドの活用案が昨日、広島市から発表された。
これをはたして〝活用〟といっていいのかどうか、プラスチックの座面をいくつか外して、対面南側にある勝鯉の森近くにつくるスタンド状のベンチに移し替えるのだという。
これが広島の復興のシンボルだった野球場の末路だというのだから、あまりにも寂しく情けない。
このプランによって「活用を願っていた広島東洋カープのファンの思いが形になる」と報じた中国新聞の、のんきなことといったら。
べつにカープファンは「市民球場のライトスタンドを風雨にさらしたうえで、その座面のいくつかを使ってベンチをつくってほしい」と望んでいたわけではない。元の元はといえば市民球場が老朽化したのであれば、立て替えてほしい。それがカープファンのみならず広島市民県民の願いだった。財民が議論を重ねた結果も現地建て替え案支持だった。
ところが、市民球場は解体すると決めていた広島市、さらにカープ球団と一部政財界が水面下ではかって「建て替えはカープの興行に支障をきたす」という詭弁(建て替えながら興行できることは楽天の宮城県営球場が実証している)を持ち出して、現ズムスタへの移転を唐突に、そし強引に決めてしまった。
その結果お荷物となった旧市民球場を強引に解体する交換条件として「ライトスタンドは記念に残しますから」と、市民県民に持ち出してきたのはほかならぬ広島市だったのではないか。市民からもカープファンからもそんなリクエストはなかったのだ。
広島市の都市機能調整部は「ライトスタンドはファンの声を受けて保存していた。跡地は生まれ変わるが歴史を伝えたい」とのコメントを発表されたようだが、「跡地が生まれ変わる」のではないのだ。「旧広島市民球場がこんなザマになり果てた」ということだ。
もし広島市が本気で歴史を伝えたいのであれば、一部メディアと一体となって民意を捻じ曲げ強引に復興のシンボルを台無しにしてしまった不手際を猛省する銘でも刻んでほしいものだ。
「過ちは繰り返しませぬから」とでも。
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