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山田で語られた戦争の記憶

先日の山一公民館での塚﨑先生のお話会に参加してくださった真木さんが申し出てくださり、2021年9月20日(月)、山田に住む方の戦争にまつわる体験の聞き取りが行われました。

山一公民館の桑原館長のお力を借りて、山田の内山さんと池上さんにお越しいただき、真木さん代表の、吹田の空襲を語り継ぐ会のメンバーの方々も山一公民館に来館され、撮影をしてくださいました。

内山さん、池上さんは山田で生まれ育った方々です。おふたりは山田第一小学校の同級生で、終戦を迎えた年に小学校1年生でした。

小学校1年生の時、池上さんはひとりで下校中に校庭で機銃掃射にあい、当時村役場だった山一公民館の場所に必死で逃げ込んだことを覚えておられました。内山さんも警戒警報が鳴って下校しているときに家に帰りつくまでに空襲警報が鳴り、近くの家に飛び込んで防空壕に入れてもらったことを話して下さいました。1年生当時は毎日のようにお昼までに警戒警報が鳴って帰宅するので勉強どころではなかったようです。

内山さんからお聞きした、小学校でのうさぎ狩りの話は驚きでした。うさぎ追いし かの山~♪ の歌のとおり、山田でうさぎ狩りをしていたそうです。
小学校の先生とPTAの保護者が協力して、山の上に罠をしかけ、子ども達が下からこっそり並んで、合図とともに大きな音を立ててうさぎを追いだしたのだそうです。次の日の給食にはうさぎが出ると喜んだけれども、汁に肉は入っておらずうさぎの出汁だけで、肉は前夜に先生や保護者が食べてしまったのだとか。内山さんがおもしろく語ってくださるので、笑いながら聞いていましたが・・・先生とPTAでうさぎを捕まえ、調理するなんて、現代では想像できないイベントですよね。

池上さんは、お父様とお父様の兄弟2人が戦争に行かれ、男手がない中、田んぼの土地を軍に供出するよう命じられたそうです。家からずいぶん離れたそこには誰も知ることがない状態で海軍の地下弾薬庫が作られました。終戦後しばらくして軍から返された土地には土が大量に捨てられていたそうです。小学校5年生で田んぼをひとりで作り直したお話は胸が痛くなります。

山田に住む方の戦争当時のお話をもとに山一公民館で作成された、紙芝居2作品も上演されました。
ひとつは、池上さんのご家族にまつわるお話。
もうひとつは、勤めていた加藤金属工業で空襲を体験された方のお話。
どちらもとても丁寧なイラストと臨場感と重みのある内容です。
手作りの紙芝居で、1セットずつしかないのです。
実際に見ていただく機会も作れたらよいと思いますが、動画でひとりでも多くの方に見ていただけたらとも思います。

※紙芝居のこと等を書かれた記事を見つけました。

https://citylife-new.com/newspost/3604/

会のメンバーのおひとりが内山さんと旧知の仲であったり、いろいろなつながりがあり、撮影後も、千里丘陵のジオラマを囲んで、話は尽きないのでした。

今回聞き取りなどをしてくださった内容は、

吹田の空襲を語り継ぐ会
https://www.facebook.com/suitakusyu
にて、整い次第、公開してくださると思います。
楽しみにしております。
公開されたらここでもご案内しますね!