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舞台は山田から千里丘陵に

それは、2021年8月のある日のこと。

山一公民館館長の桑原さんは、山田在住の内山さんが作った大きなジオラマを眺め、山田村から千里丘陵一帯へと目を向けました。

「山田も、この千里丘陵のめぐみを得ている。
山田もニュータウンも、この辺り一帯は千里丘陵でつながっている
千里丘陵全体をとらまえて、歴史や文化や人々の営み、自然のデータを集めよう。
データを作る中で、千里丘陵を大切に思う人たちでつながり、その思いや活動を次世代にもつなげていきたい」と。

以上、たぶん、館長はそう思っていたのだろうと、10月になって瀬戸口が想像しました。(笑)

今をさかのぼること2か月。8月から館長は何かに目覚めたかのように動きだしました。
「こうと決めたらやってやる」という持ち前の熱意と集中力を発揮し、図書館から山のように資料を借り、朝から晩まで読み込んでは、時間があればパソコンに何かを打ち込む日々。
そしてそれは今も続いています・・・。

その館長の熱意に動かされて実現した、貴重な出会いがありました。

そのひとつは、千里ニュータウン在住のニュータウン研究家の奥居武さんとの出会いです。館長は奥居さんのセミナーに参加されたり執筆物を読まれたりして、以前からお話できたらと願っておられたそうです。
5歳の時に藤白台に越してこられた奥居さんは、山田生まれの桑原館長と同世代。
藤白台から山田までは自転車で20分ほどなのですが、旧山田村は奥居さんにとって心理的にも物理的にも遠い存在だったのでしょう。千里中央駅からバスに乗ってこられたので、だいぶ時間がかかったのではないかと思います。
「山田村で私のようなものがニュータウンのお話をするのはおこがましいと・・・」とどこか遠慮がちなご様子でした。
一方、館長は、以前酒屋さんをされていて藤白台にも配達にいっていたとのことで、ニュータウンは身近な感覚だったようです。とはいえ、
「昔からニュータウンの人は、都会の人という感じで、田舎もんの私らと話してもらえるんかと思っていた」
というような、やりとりもありました。

私達世代の知らない、ニュータウンの歴史がそこにあるのだと想像しながら、だからこそ、奥居さんと桑原館長との対面というのは、本当に貴重な場だったのだろうなと思います。

熱く語る桑原館長に若干引き気味のようにも見えましたが、お二人でしっかりと千里丘陵を緑のまちとして残していきたいという思いを確認し、ニュータウンの話で大いに盛り上がる横で、「・・・バスオールってなんや?」とひとりついていけていなかった私ですが、説明してもらって、世界が広がりました。

館長が取り出していたのは、「青春のお通り」という映画の私物DVD。館長の奥様に許可を得て、借りて帰って家族で鑑賞しました。当時の暮らしやニュータウンの生活の様子がとてもよくわかり面白かったです。

そういえば、奥居さんと話をしていて気づいたことがありました。
山一地区では今も毎朝毎夕に時刻を知らせるお寺の鐘が鳴ること、秋祭りの準備で夏から毎晩太鼓の練習の音が聞こえてくることなど、私は越してきてから14年で当たり前になっていたことが、地区以外の人にとっては特殊なことなのだと。

奥居さんには、山一公民館で講演をしていただけそうです。
来年になると思いますが、その時が今からとても楽しみです!

最後に。奥居さんは、「帰りは車でお送りする!」と、慌てて車を取りに家に戻った館長が間違えて乗ってきてしまった軽トラの助手席に乗って帰られたのでした。館長らしい~、と笑って見送りながら、ふと、奥居さんの中で旧山田村の人の印象がどうなったのかと、ちょっぴりこわくなってしまったのでした。