天使の子

2018.9.30
天使の子


 白が辺りを多い尽くしていた。
花びらはそこらじゅうを舞い、陽射しは暖かく優しい。こんな綺麗なところがあるだろうかと思うほど、不思議な景色だった。ぼんやりと景色を眺めながらもうずっとその場に立ち尽くして、時間が経つのを感じていた。

夕陽が差して、空を真っ赤に染め上げる。白い花びらが一斉に赤に塗り変わって、光って見えた。
その光の中を、走っていく足音がする。
花びらが踏まれて美しい赤いかけらがはらはらと中に舞っていった。誰が走っているのだろう、と辺りを見回すも、夕陽の中で走る人影が遠く見えるだけだった。ただ、きっと子供だと確信した。高く、はしゃぐような笑い声が聞こえた。その声は不思議と心地よく響いてくる。もう直ぐ、日が沈む。
目を瞑って声に聞きいった。まるで自分も子供に戻ったかのように思えて、昔を思い出した。はしゃいでただ、楽しかったような気がした。
やがて声は消え、涼しくなった風がさらさらと頬を伝って後ろに流れていく。
足元で花が揺られ、足にぶつかる感覚がくすぐったい。そういえば裸足でここに立っていたのかとぼんやりと思う。足の裏はひんやりとして花や葉っぱを踏んでいた。

そうっと目を開けてみる。
もう光はもう地面の向こうに消えていた。
花に縁取られた地平線の上に、光の名残があって、ぼんやりと明るく滲んでいた。上の方は、すみれ色や紺色を溶かしたような色が広がり美しかった。
その中にぽつりと一つ、白く輝く星がまたたいている。

あれは何の星だろうかと考えを巡らせるが、どうしても思い出せない。確か何か名前があったような気がする。考えているうちに、名残も消えて空は紺色に変わって行った。星が増えて賑やかに光る夜が来た。
風は一層涼しくなって少し寒く感じた。星明かりの下、花びらはぼんやりと白く光っているように見える。
夜も綺麗だな、まだ景色を見ていたい。
やがて、月が顔を出す。花びらが月光に照らされて、銀色に光る。満月より少し掛けた月だった。

「あら、珍しい。ここにいると寒いでしょう?」
唐突に後ろから声が聞こえた。足音も何も気づかなかったので、驚きすぎて固まってしまう。
「とにかく、うちへいらっしゃい。
ここに留まるお客さんは珍しいわ。」
その人は正面にまわって、私と向き合った。
背の高い、茶色の長い髪を横で括っておろしている、綺麗な女の人だった。
その人は私の手を取って、月に背を向けて歩き出した。私は素直に手を引かれてついて行く。
その時、自分の身長が小さくなっているのに気づいた。女の人が高いのではなく、自分が低くなっていたのだ。

美しい銀色の花びらの中、さくさくと地面を踏みながら歩いていく。紺色は、濃紺色になり、輝いていた星々は、月光に隠れて控えめに光る。
空には月だけが堂々と光って、とても静かだった。
ひんやりとした空気が流れてくる。銀色は終わりなく、ずっと先まで続いている。
さく、と足音が止まり、私も立ち止まった。唐突にぽちゃん、と水が跳ねるような音が聞こえた。その音はやがてちゃぷちゃぷと増え、やがて少し先の地面に小川ができた。さらさらと通って行く水に時々、銀色の花びらが浮かんでながされていく。
月が水面でゆらゆらと揺れて、
涼しい音を立てて消えたり出たりした。
「さて、行きましょう。」
女の人はそう言うと、小川の中に白い足を入れて何もないように歩き出した。
私は小川の前に立ち止まったままで、その人の繋いだ手を引き止めた。渡っていいのだろうか。なんだかとても綺麗で美しいけれど、渡れば二度と何かが戻ってこないような気がした。
女の人はにっこり笑ってわたしの手を引いた。
「いいのよ、渡っても。あなたにはその資格があるわ」
そう、わたしの手をもう一度引いた。
わたしはようやく浅い小川の中に足を入れる。
水はとても透明で、冷たかった。

水底は平らで、何かに整えられたように磨かれた石の質感だ。静かな中、ぱしゃり、ぱしゃりと水を遊んで歩いていく。
小川を超えて、柔らかい地面を踏んだ。
女の人はこちらを時々振り向きながら先へ歩いて行く。銀色の風景が、さっきよりもはっきり見えた。
銀色の景色の中、しばらく無言で歩いていた。

そして遠くに、暖かそうな光が浮かんでいるのが見えた。
はたりと立ち止まって、女の人が口を開いた。
「あそこが、私の家よ。今日はもう遅いからあそこへ泊まりなさい」
私は黙って女の人を見上げたが、暗くて顔がよく見えなかった。女の人はまた歩き出す。繋いだ手は、細くて、でも暖かかった。

そうして暖かい明かりの家の前にやって来た。
ドアは優しい木の色で、古くて澄んだ音のベルが付いている。カラン、と音を立ててドアが開いた。
中には自分と同じくらいの背丈の、ネコが立っていた。
「おかえりなさいませ」
ネコは丁寧にお辞儀して、女の人と私を中にいれた。
「そちらのお嬢さんは?」
ネコが聞いた。
「この子はお客さんよ。ベッドの用意、よろしくね」
女の人はふわりと手を離して、奥の台所らしきところに入っていった。
カチャカチャと陶器の音がする。
「ようこそいらっしゃいました。たいしたもてなしは出来ませんが、こちらに座ってお待ちください」
とネコは丁寧にお辞儀をして椅子を進めた。

ネコが指した椅子は、古い木の椅子だ。テーブルも古く、でもピカピカに磨かれてあった。
椅子は四脚あって、テーブルの周りを囲っている。

ネコは私が座るのを確認すると、とてとて、と台所へと急いでいった。
なんとなくあたりを見回すと、優しい木の雰囲気が目に入る。部屋はとても暖かく思えて、みると棚には本と、小瓶と、植木鉢が並んでいた。
しばらくぼんやりしていると、あたたかそうな湯気の立つスープが目の前に置かれた。
「どうぞ、お食べになってください。残り物で申し訳ございませんが…」
そうネコが言って、忙しそうに別の部屋に入っていった。代わりに女の人が、向かい側の椅子に座る。
「どう?美味しいかしら」
女の人が聞くと、わたしは頷いた。よかった、とにっこり笑って頬杖をつく。
「でも珍しいわね…向こう側を見てたわけではなく、誰が迎えに来ていたわけでもなく…ここに立ってたなんて」
ポツリと女の人は語り出した。
「ここの景色、そんなに気に入ったの?」
わたしはまたこくりと頷いた。
「そう、そうね…そんなに気になるなら、ちゃんと向こうに行ってからまた見にいらっしゃいな。あなたならいつでも来れるはずよ」
女の人がそう言ったところで、ネコが入ってきた。
「あるじさま、ベットの用意ができました、風呂も沸かしておいたのでどうぞ」
「まあ、ありがとう。ご苦労様、じゃあ、お風呂に案内よろしくね」
女の人はネコにそういうと、食べ終わった食器を持って席を立った。
「さ、こちらにどうぞ」
ネコはそう言ってわたしの手を取った。


眼が覚めると、窓の外は、滲んだような水色の空と真っ白な花が咲き乱れる景色が広がっていた。
少し古そうなベットから起き上がると、棚の上に置かれた鳥かごの鳥が、一声鳴いた。
こんこん、と扉がなってネコが入ってきた。
「お目覚めですね、おはようございます。支度をどうぞ」
そういって一式、服やタオルを差し出した。
暖かい空気の中で鳥かごの鳥も気持ちよさそうにさえずって、とても穏やかな朝だった。朝食を食べ終わると女の人が
「じゃあ、送っていってあげるね」
といって出かける準備をし始めて、ネコに見送られて2人で家を出た。

外は穏やかながらとても静かで、吹き抜ける風が気持ちよく、時々花びらを散らしていった。時々休憩しながら、女の人とわたしはほとんど何も喋らずに青空と白い花の中を進んでいく。
ふしぎと日が昇っていくのはわかるのに、どこに太陽があるかわからないような青空で、どのくらい歩いたのかさっぱりわからなくなっていた。
ねえ、どこまでいくの?とわたしが聞くと、女の人はにっこり笑って答える。
「そうだね、もう少しだから我慢してね。ほら、あそこに白い塔があるでしょう、あそこまでだよ」
女の人が指差す方には白い地面から白い塔が伸びていて、ずっと高く、青空の中に伸びて消えているように見えた。
白い塔を目指して2人は歩いて行った。あたりには女の人とわたし以外、誰も、動物さえもいなかった。しかし塔の周りでは真っ白い鳥が飛び回っているのが見え、時々塔の中に入ったり青空の中を飛んで行ったりしていた。
歩くと少しずつ塔が大きくなっていき、とうとう塔の麓までたどり着いた。真っ白い塔は一周するのにも時間がかかりそうな太さで、側面は白い石でできているようでつるつるに磨かれていた。
上を見上げるとどこまでも高く続いていて、先は青空の中に隠れてしまっている。
塔の正面には木の扉があって、女の人はこんこんこんと呼び木を鳴らす。すると真っ白い服を着た人が扉を開けて出てきた。その人は大きな白い翼を背中に折りたたんでいて、頭の上にはアメジストをいくつか施したような金の輪が浮いている。
てんし?と思わず呟くと、女の人と天使は笑ってそうだよと頷いた。
「この子、迎えも来てなかったのだけれど、あなた達ならわかるかしら」
女の人は天使にそうきいた。
「迎えも?そうですね、どうやらちゃんと仕事してなかったみたいです、ここまでご案内していただきありがとうございます、渡し番さん」
天使は申し訳なさそうに女の人に頭を下げた。
「いいえ、不手際も意味のあることよ。それに案内料はちゃんともらったからあなた達からの礼はいらないわ、それじゃあ後は頼んだわね」
それから女の人はわたしに話しかけて頭を撫でた。
「ここまでお疲れ様、ここからはこの天使さんが連れて行ってくれるわ」
「ええ、わたしが案内します。迎えにこれなくてすみませんでした、ここまでよく来ましたね」
天使はしゃがんでそう言って、わたしの手を取った。
「では、また会いましょうねお嬢さん」
女の人はひらひらと手を振って来た道を引き返して歩き始めた。

女の人がすっかり白い花の中に消えてしまうと、天使は頭の中へとわたしを誘った。
「どうぞ、ここから上に登っていきますよ」
木の扉をぱたんと閉めてしまっても、塔の中は明るく、白く光っているように見えた。塔の壁沿いには白い螺旋階段が上へ上へと続いている。風の音がそこら中に響いて、地面に敷かれた白い石から上に向かって不思議な風が吹いていた。
「ちょっと捕まっててください」
天使はそういうとわたしを抱き上げて、ふわりと地面から飛び立った。天使の大きな白い翼がいっぱいに広げられ、2度3度羽ばたくと上を向く風を捕まえて登っていく。みるみる地面は遠ざかり、塔の壁と青空の覗く窓が次々と視界を流れていった。
ふと背中がむず痒く感じて、それから体がとても軽く感じた。
「ねえ、なんか変」
わたしは天使にそう告げると、天使は驚いた顔をして見ていた。
「ああ、あなたは天使だったのですね…安心してください。歓迎します、我が同胞よ」
天使は優しくそういうとわたしの体を放して、手をつないだ。
「さあ、羽ばたけるはずです、あなたは天使なのですから」
天使だと言われて、途端に今までの記憶を鮮明に思い出した。ひと時の生、別れを告げる死、そしてここに来たこと。全て鮮明に思い出して、自分が子供ではなくなっていることに気がついた。
「これは誰?わたし?」
目の前の天使のすみれ色の瞳には、驚く顔の美しい人が映っていた。辺りを見回すと塔の中に光、光、光があふれ返り、ぱちぱちと弾けて眩しく光る。
天使は微笑んでうなずき、そして言った。
「そう、これはあなた。あなたは天使。光の羽根とまばゆく光る陽光の輪。なんて美しいのでしょう」
増えていく光と、風の音がもうすぐ塔の外だと告げていた。天使の子は、ただしく天使になったのだった。
おしまい

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