じいじと週末

昔はじいじと一緒に暮らしていたのだが、家の事情により、小学生低学年で別々に暮らすことになった。

母がうつ病にかかり、じいじとの共同生活ができないと判断したためだったと思う。それでもさほど遠い場所ではなかったので、私は毎週末、電車に乗ってじいじの家に遊びに行っていた。うつ病の母との生活は決して楽しいものではなく、私もじいじの家に行くのが週末の楽しみとなっていた。

じいじの家に行くと小学生の頃はよく、近所の『イトーヨーカドー』に連れて行ってもらっていた。キッズコーナーのカードゲームに夢中になっていた。7階のレストランフロアでオムライスを食べて帰るのが通例で、たまにじいじの好きな蕎麦屋にも行った。

他にも、歴史好きのじいじにつられ、歴史資料館に行ったり、学校の教科書に出てくるような貝塚の跡に行ったり、旧東海道を5駅分くらいひたすら歩いたり、つまらなそうに感じるかもしれないが、散歩の中で駄菓子屋を見つけたり、面白いアスレチックのある公園を見つけたり、じいじとおしゃべりをしながら歩くだけで楽しかった。

雨の日は仕方なく家の中で過ごした。低学年の頃はよく『お店屋さんごっこ』をした。工場を経営していたじいじとのお店屋さんごっこは結構本格的で、工場で余った材料を使って専用のコインを作って、PCでデザインした看板を作ってくれた。売り物はおままごとのものだったと思う。じいじは飽きずに遊びに真剣に付き合ってくれた。

小学生中学年になるとDSを買ってもらい、じいじと家で遊ぶことはなくなった。お手伝いも全くしなかった。妹と二人でいたずらばかりした。それでも毎週末会えるのが嬉しかったのか、怒られることは一度もなかった。じいじはDSのことを「ピコピコ」と呼んでいた。

ある週末、いつものようにじいじの家で過ごしていたが、私はじいじに膝の痛みを訴えた。おそらく成長痛なんだろうが、じいじは2時間も、3時間もずっと私の膝をさすってくれていた。それでも痛みは収まらず、じいじは痛みを紛らわすためか私をおぶって夜道を散歩してくれた。たくさんのお話を聞かせてくれて、たくさんの歌を歌ってくれた。その時の大きくて優しいじいじの背中の感触を今でも鮮明に覚えている。

今はもう弱々しく、私が支えなければまっすぐ立つこともできないじいじだが、そんなじいじの小さくなってしまった背中によりかかるのが好きだ。たまにこのままじいじが消えてしまうんじゃないかと涙が出ることがある。今度は私が、じいじのかたをさすり、車椅子を押しながら、ひだまりの中をいろんな話をしてたくさんの歌を歌い歩く。

じいじが遠くへ行かないように、私のことを忘れてしまわないように。

じいじは「ありがとう、ありがとう」と、何度も嬉そうに言う。

ずっと私が、じいじの一番でいられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?