月の砂漠 ~

もうすぐ祖父が亡くなる。

末期の肝臓がんだそうだ。

20年間ずっと抱いてきたいつか訪れる恐怖が、今目前に迫っている。

耐えられない、きっとこの世にある全ての快楽じゃ紛らわせない、最大で最凶の痛みである。
私は絶対に耐えられない。

祖父以上に祖父で、母親以上に母親で、片親である私の父親に誰よりもなろうとしてくれた。そして実際になってくれた、最愛のじいじである。じいじ、言葉では表せないくらいの愛。

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祖父が親戚が務めている老人ホームに入居したのは、3年半ほど前だった。
当時私は猛烈に反対した。家から徒歩圏内に住んでいたじいじが、他県に行き、離れてしまうのが一番嫌だった。さらに、老人ホームに入居すると、通常の10倍のスピードで老いる。絶対に嫌だった。でも、当時17歳の私には経済的に祖父を守ることは出来なかった。そして受験が重なり、全然会いに行ってあげられなかった。会いに行くたびに祖父は名前を呼んで泣いてくれた。きっと感じたことの無いくらいの孤独と、惨めさと、虚無と戦っていたのだと思う。

助けてあげられなくて本当にごめんね。たくさん会いに行ってあげられなくて本当にごめんね。

思春期で母親との関係が上手くいってなかった頃、私はいつもじいじの家に逃げ込んでいた。何も言わずにただ美味しいご飯を作ってくれるじいじだった。私が来て欲しいと言えばなにがあろうと絶対に来てくれるじいじだった。私のわがままをなんでも絶対に叶えてくれるじいじだった。仕事で朝が早いのに、私のことなら夜中でもなんでもしてくれるじいじだった。成長期でひざが痛んだ頃は夜通しひざをさすってくれたし、友達と遊ぶのにお金が無いと言えば、仕事中でもお小遣いを渡しに来てくれた。今考えれば本当にわがままで申し訳ない気持ちでいっぱいだが、本当にたくさん迷惑をかけてきた。

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祖父はアル中だった。ワンカップを必ずポケットにいれていた。家族はアル中である祖父を避けた。私もお酒を飲んだじいじの姿は嫌いだった。それでも、私がいなければ祖父は独りだ。私も祖父がいなければ独りだった。そして何よりも、お酒を飲んでいないじいじは世界で一番大好きだ。一生酒を飲むなと言ったけど、今はたらふく飲ませてあげたい。やっと20歳になつたんだ。一緒にお酒をのみたいよ。

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最後に私の顔を見て、名前を呼んでくれたのはいつだろう。私を私だと認識してくれたのはいつだろう。彼の私の記憶はいつで止まっているのだろう。認知症がどんどん進む中、何か解決策はなかったのか。どうにかして施設に入らないことはできなかったのか。末期ガン。どうして誰も気づかなかったのか。施設の人は何をしてたのか、しっかり仕事してくれよ。そもそも親戚は何をしてたんだ。彼女は祖父の様態が酷い中仕事を辞めたらしい。なんなんだ。お前が世話するって言ったんだぞ。怒り、悲しみ、恐怖、情けなさ、色んな感情に押されてただ涙を流すことしかできない。

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名前を呼んで欲しい。認識してほしい。振袖姿を見てほしい。話がしたい。一緒に電車に乗ってまたお出かけしたい。卒業式に来て欲しい。結婚式に来て欲しい。会いたい。生きていて欲しい。生きていて欲しい。本当に心から生きていて欲しい。

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この世の優しさをすべて表したような、陽だまりのような暖かさのじいじだ。お人好しで世話好きで、お酒好きでだらしがないけど、大好きなじいじだ。じいじが持っている全ての愛情を受けてきた自信がある。おばあちゃん以上に、お母さん以上に、他のいとこたち以上に、私が一番愛された自信がある。それ以上に、私が今まで生きた20年間、誰よりも彼を愛した自信がある。そしてそれはこれから歩く数十年も変わらない。

もう散々苦しい思いをしたよね、嫌なことたくさんあったよね、寂しかったよね、孤独だったよね。でももう少しだけ頑張ってね。

あなたは孤独だったと思うかもしれない、でも世界で一番孫に愛された幸せなおじいちゃんなんだよ。

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