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月の砂漠 第5話くらい

前回記事を書いた12/29午前4時頃、その4時間後祖父は旅立った。

なかなか気持ちの整理がつかずに筆を執るのが遅くなったが、もちろんまだ実感は湧いていない。どこかにいけば必ず会える。そう思っている。

12/29の午前4時頃何があったのかを綴る。眠っていると、いつも私を起こす時と全くおなじ祖父の声で名前を呼ばれた感覚がした。目を覚ますと今までの祖父との思い出が走馬灯のように思い出されて、ありえないくらい涙が出た。そして私の大好きな祖父の作ったチャーハンの味が不思議なことに口いっぱいに広がった。急いで祖父に会いに行かなきゃ行けないと思った。母に連絡して、コロナで面会禁止だが、ダメ元で翌日病院に行くことに決まった。そして、今のこの感情を忘れないように、私は急いでnoteに記事を書いた。それが一つ前の記事である。本当に不思議な体験だった。眠ってしまい、8時に目が覚めた。母や親戚からLINEが200件ほど来ていて、祖父が眠ってしまったことを知った。

教えてくれたんだね。呼んでくれてたんだね。気づけなくて、すぐに行けなくてごめんね。最後にチャーハンを食べさせてくれたんだね。おいしかったよ、ありがとう。起きた時すぐに会いにいかなかったことを一生後悔するのだろう。

急いでタクシーで病院に向かった。1時間ほどかかったが、ずっと涙が止まらなかった。振袖姿を見せたかった。あと1週間程度だった。旅行にも行きたかった。もっともっと孝行したかった。

祖父の眠った顔はとても幸せそうで、大好きだよとしか言葉が出なかったけど、本当に大好きなんだよ、じいじ、世界で一番あなたの事が大好きなんだよ。最期に立ち会えなかった悔しさや、絶対にコロナが無かったらもっと長く生きられたという悔しさ、病気に気づいてくれなかった老人ホームの人たち、変な薬を処方した医者。全てに腹が立った。そしてなにより、祖父が遠くの老人ホームに入居するのを、あの時必死に、何かを失ってでも止めていたら。周りもだが、自分にも腹が立つ。

前回の記事にお酒を飲んだ後の祖父は嫌いだったと書いたが、今考えれば、優しくて謙虚で人様に迷惑をかけたがらない祖父が、唯一楽に自分をさらけ出せる方法がお酒だったのかもしれない。どうせあとに戻れない程傷ついた肝臓だ。たらふく飲ませてやればよかった。

お酒を飲んで楽しそうに私と話すおじいちゃんの顔がこびりついたように離れない。絶対に分かるクイズを出して、ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん!!って元気に笑うおじいちゃんの顔が、久々に私に会って嬉しくて泣いてしまった顔が、両手に私の好物ばかりを買った大きな買い物袋を下げ帰ってくるおじいちゃんの姿が、得意げに膨大な数の知識を話す姿が、私の買い物に付き合わされてずっと待ってる退屈そうだけど幸せそうな顔が、どこでも寝ちゃうおじいちゃんの寝顔が、工場の匂いが染み付いた作業着の匂いが、家族に煙たげられ悲しそうにする顔さえも全部全部離れてくれない。

生活の中のほんのちょっとしたことが全て祖父に繋がってしまう。コンビニやスーパーに行けば祖父の好きなお酒や食べ物があるし、テレビをつければ祖父が好きな俳優や歌手が出てる。パソコンを開けば祖父と見に行った映画がNetflixで公開され、電車に乗れば祖父と歩いた街が車窓から見える。iPhoneのカメラロールを見れば祖父が元気そうに笑っているし、夜になれば祖父のことを考えてしまう。

私の生きてきた20年間の半分以上は祖父無しにはもちろん語れない。世界で一番味方でいてくれる、最愛の祖父であり、父であり、理解者であり、親友なのだ。

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幼い頃から寝つきが悪かった。私が眠れないと祖父は私をおぶって夜道を歩いた。記憶にあるのは夏の夜だった気がする。月の綺麗な夜だった。明治道理沿いの夜でも車通りの多い道、街頭は意地悪なくらい眩しく、静かではない。東京でも多少は虫が鳴いている。綺麗な音だと感じたのは子供だったからだろうか。祖父はよく歌を歌った。幼稚園児に聴かせるには渋すぎる童謡だった。じいじそれ好きだよねと笑う幼少の私は、その曲で苦しいくらいに泣く未来が十数年先に現れることを知る由もなく、祖父の背中で眠りについたのだろう。

その曲の名は「月の砂漠」といった。

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おじいちゃん、私はあなたを一生忘れることは出来ないよ。きっと誰もそうさせてはくれないし、1ヶ月以上経つけれど、泣かなかった夜はない。
これからもずっと涙を流し続けてあなたを思い出して、私から唯一無二の存在を奪ったこのあまりに残酷すぎる世界で自分なりに一所懸命生きていこうと思うよ。おじいちゃんの孫にしてくれて、本当にありがとう。生まれてよかった。幸せだよ。

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