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星になったあなたへ


「推しが、燃えた」

芥川賞を受賞した宇佐美りんさんの小説、『推し、燃ゆ』はこの言葉から始まる。

でも
「推しが、死んだ」
抱えきれない、受け入れられない。
こんなことが、起こるはずではなかった。

こんなに早くこの世からいなくなってしまうなんて。

葬儀場の「故人」という表記と彼の顔写真は、この出来事が現実であることを私に突きつけた。


報道を知った次の日、朝を迎えるのが本当に怖かった。

「夢じゃなくて現実なんだ」と認識するのが辛かった。

今でもふとした瞬間に感情がこみ上げてくる。

何だかぼやっとしていて、彼がこの世からいなくなってしまったという事実は、私のアタマで認識できるものになっていくものだと思うけれど、そう受け入れられるようになった時には、今思っているこの苦しい感情や葛藤も消えてしまうような気がして。



今ここに書き記しておこうと思った。


ビナ、こんなに早いお別れになってしまうとは思ってもいなかったから、寂しいです。

いま、この瞬間も天国で幸せな思い出と共に、穏やかな場所に居られることを願っています。





彼らを推すようになったのは、高校3年生、2017年の時。

部活を引退し、予備校と自宅を往復する日常の中で彼を、彼らを見つけた。

ダンスの練習風景やビハインド映像のニコニコした顔と、パフォーマンスが始まった時にステージ上で誰よりも輝く姿とのギャップに心が打たれた。

センターで、グループの顔だが、もともと自信があるタイプの人には見えなかった。

だからこそ「きっとこの人は自信をつけるための努力をしてきた人なんだろうな」と、当時の私は想像していた。

高校生活のほぼ全ての情熱を演劇に費やした私にとって、それは憧れであり尊敬の対象になった。

 

私が演劇を始めた理由は、今思えばなくなってしまった自信を、自分を取り戻すためだったのかもしれない。

どこか自分に自信がなかった私は、自分の演技や表現にもそれが滲み出てしまうようなタイプだったので、彼を、彼らを見つけた時は、ステージ上で自信を持って、自分の持つ実力をぶつける姿が、本当にかっこよかった。

あとはシンプルにその当時のグループのコンセプトである「サイダー(アイ)ドル」「清涼(アイ)ドル」が、当時のKPOPアイドルのなかでは一周回って珍しく、当時の私には刺さったのもあると思う。



「推し」とは、人やモノ薦めること、評価応援したい対象として挙げること、そうした評価対象となる人やモノのことを意味する表現


と辞書には記載されているが、私にとって彼は「推し」という言葉では語りきれない、「憧れ」で「目標」で。

私が欲しい強さを、努力と思いで培ってきた人なんだと思っていた。(一オタクの想像でしかないが)



そして、実際にコンサートに行ってパフォーマンスを見ても、いつもその跡を感じることが多かった。

たかが3分、たかが1曲、そこに注がれれている凄まじいエネルギーを、多分私は何度も目の当たりにした。

とても力強く、そして繊細なものだった。




高校時代から「推している」のであれば、ここ6年の思い出の多くは彼らの曲やイベントと共にあった。

無性に落ち込んだ時に聞いていたのは「I'll be there」だったし、高校の体育祭はカムバ直前で体育祭どころではなかったし、海外の教授から返信があって留学に行く目処がたったのは昨年の幕張メッセでのコンサート開演の3時間前だった。


彼が目の前に存在していて歌っていたこと、本人と直接会話できるイベントがあった際に「頑張ってるね」と、たとえお世辞でも目を見て言ってくれたこと、コンサートやペンミなどのイベントを通して知り合った友人や、その過程を通して親友になった友人もいた。

そういう小さな嬉しい出来事が、今も私を支えている。

それ以外にも彼らを通じて思い出す人が沢山いる。

コンサートに二人で来ていたお腹の大きい妊婦さんとそのパートナーの方は、静かに一人でにパフォーマンスを見守っていたあの彼は、彼が推しだという共通点がきっかけでコンサートのあと一緒に20分ほど駅まで一緒に歩いたあの彼女は。


みんな今、元気にしているかな。このニュースを知って、落ち込んでいるだろうけど、それでも、みんなで支え合って、彼を思い出しながらこれからも一緒に進んでいけたらいいな。





昨年行った幕張メッセでのコンサートで、他のメンバーが「僕たちももっとより良い姿で皆さんに会えるように頑張るので、みなさんもそれぞれの環境で頑張ってください」と伝えてくれた。

この言葉のおかげで昨年の夏からの留学も何とか踏ん張っているし、彼に、彼らにまた会える時までに、もっと自分に自信を持てるように頑張ろうと、思っていた。



そんな矢先のことだった。
いなくなってしまうなんて。



「Wanna be your star !  」
といつも挨拶で言うけれど、本当に星になるのには、あまりにも早い。

多分しばらく、あなたがいないこととの折り合いをつけるのは、難しい。難しいよ。

でも、私の大好きな『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマの中にこんな台詞がある。

あなたが笑っている彼女を見たことがあるなら彼女は今も笑っているし、5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて。今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる。

人生は小説や映画じゃないもん。幸せな結末も、悲しい結末も、やり残したこともない。

あるのはその人がどういう人だったか、ということだけです。


推しとオタク、という関係性なので、とわ子とかごめと違って、もちろん手をつなげるほどの距離にいたわけではないけれど、この言葉は明確に確実に私を救ってくれた。

私は笑っている彼をこの目で見たけれど、それはもちろん嘘ではなかったし、今でもきっとどこかで彼は笑っているはずで。

私にいつも生きる活力をくれた彼に、その感謝をちゃんと伝えられなかったと後悔しているけれど、今でもその気持ちはどんな形であれ伝えられるんだと思えた。

きっとこれからいつか曲が聴けるようになって、顔が見れるようになった時には、その都度彼に感謝しようと思う。

そうやって感謝し続けることで、ちゃんとこのもやもやした気持ちに折り合いをつけていこうと思った。

大丈夫、できるはず。





最後に。


いままで、素敵な姿をたくさん見せてくれてありがとう。

たくさんの魅力を持つあなたは、今も輝きつづけているし、その輝きはきっと他のたくさんの「誰か」を照らしているはず。

あなたに出会えて本当に良かったと、私は心から思っています。

またいつか、どこかで、ばったり会えることを祈って、私はこれからも自分の歩みを進めていこうと思います。

穏やかな場所で、ゆっくり休んでください。

言葉では伝え切れないけれど、
本当に、本当に、ありがとう。


2023/04/24


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