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日記⑧

「今日も駅前の高架橋の上を歩く。刻刻と沈んで往く夕陽より鈍く下って往く。夜ではないのならば、何も滞りは無い。
 明日という存在がどれほど心身のその両方を蝕んで往くのか、そして、精神と身体は既に別の場所に在る。精神と肉体、理想と現実、思想と妥協、創作と失望、その乖離と融合、余りにも甚だしく数多で、嘲笑うかのような喧騒は眼下に望む鉄の猛獣達の足音に他ならない。全ては自己の世界に他ならない。下らない言い草も全ては泡沫と化す。
 夕陽は刻刻と沈んで往く。
 言葉が確かに人の発明ならば、既にそれは朽ちている。知らぬ誰かの手が加わったそれを甘んじて呑み込むほどまだ腐ってはいない。"才能"などという誰かも分からぬ他人が付けた肩書き一つに、人々は皆群がり、その御加護を受ける振りをしながら体液を吸い尽くそうと試みる。言葉はそういうものなのだ。詭弁と大層な名前を掲げるだけで真髄を掴んだ気になって搾取しあう。これまでの生きとし生ける物の中でも類稀なるこの様な滑稽さに、どうして笑みを零さずに居られるのか!この惨めな光景を望む事こそが、俺をこの世に留めることを可能とした唯一無二の御褒美なのだ!
 神の仕業である。全ては神の御心の儘に振り回され、出来上がっては崩れて往く。どうもそうでなければ気に食わない。この世がこんなにも不自由で不条理で残酷である所以を説明したいのならば、それ以外は受け入れられない。若しくは全てを粉微塵にする以外は受け入れられない。不条理ならば皆平等に不条理で在るしかないだろう。
 夕陽は刻刻と沈んで往く。
 嗚呼、そうなのか。そういうことか。神に頼る以外に脳を持たない、無能だと思っていた連中は既にこの真実に気付いていたのか。
…………そんなわけ有るまい。気付こうともしない連中に決まっている。しかし、信仰心とはよく出来たものだ。社会を作る為に、人を纏め上げる為に、その思惑に宗教は産まれた。論理的な理由を以てすれば、必ず反論が生まれる。しかし、超自然的な力を呑み込ませて、それを理由としてしまえば、云わば、世界の常識を塗り替えてしまえば、絶対支配は容易い。普通はその過程が難しいのであるが、神はそれを可能にする。何故なら神であるからだ。神という人間が生み出した偶像は全てを可能にする。人間の想像力と知恵が尽きぬ限り、神はそれ自身が理由であるという一種の暴力を以て人を圧する。
 夕陽は刻刻と沈んで往く。
 そうか、ならば神になろう。神という偶像を作り出す人間になればいいのだ。"才能"などという生半可な実物に対する生半可な信仰心を根底から崩す為に、"神"という絶対的な偶像を以て有象無象共の心身ごと奪い去ってやれば、どれほど満足な生活が待っているだろうか!そうすればこの様な腐った世にも生き方というものを造り出せそうだ。
 嗚呼、そうなればいよいよ、これからの一瞬に起こる苦痛に耐え切りたいと思ってしまう自分がいる。地に着かない物体に重力加速度は容赦なく襲い掛かると云うのに、もう戻れないこの僅かな瞬間に、僅かな後悔を生み出す自分がいることに驚きを隠せないでいる。
 鉄の猛獣達よ、さあ。夕陽はまだ沈んでいないぞ。今がその時だ。」

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