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正気かどうか慎重に協議する

一応正気、と書き直して、本当にそうだろうかと数日考えていた。

要するに、純粋に、格好つけたいと思う相手を作ればいいという結論だと。
プライベートの一番ダメなところなんて、家にあげなければ見えないでしょう。
だから本来は、懐まで入ってくる人がいなければ誰もしらない。
でももし恋をしたら、相手が見えない部分でも、一方的に格好をつけたくなるでしょう。
それが人情ってもんじゃないか?(違ったりして)←色々自信がない

百年の恋も一時で冷めるわね、と思った瞬間居住まいを正すような、そういうアセスメントが必要ということ。

実はわたしは今まで「相手の気持ち有りき」のおつきあいしかしたことがないし、毎回ちゃんと情は移るが本当に好きになったのは多分一人か二人という為体のため、生身の人間を想定するのが少々難しい。
だから架空ないしは想定上の「誰か」を用意する。
そういう意味ではいわゆる「推し」でもいい気がするのだけれど、いまいち趣味に合うのがね…二次元も三次元もなくてね…。あと多分都合の良い妄想力もね…足りなくてね…。

しかし、思っていたよりも、見栄というか、より良い自分を自分に望む気持ちというのは、人生において重要なんじゃないかという気がしてきた。
誰もわたしのことなんか気にしちゃいないわ、迷惑かからなきゃ野たれ死んでも一緒でしょう、みたいな気持ちでいると、どんどん自分の芯が痩せる(体は太る)。
それはおそらく自分で自分に期待する気持ちが底尽きているからだ。

大したもんじゃなかった。
そこから始めるのは、それなりに大変で然るべきだ。

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